1 プロローグ
秋の森は色鮮やかだ。赤、黄、緑の色の葉を見ていると、心が和む。
俺は冬支度のため、薪を取りに来ていたのだが、そろそろ日が落ちそうな頃合なので、引き上げよう。
傍に山積みにしておいた薪を背負籠に入れ、残りを両脇に抱える。
今日で冬の薪集めは終わり、あとの心配は食料だけとなったが、冬に入る直前の頃に商隊が来る約束になっているので、塩や狼の毛皮と引き換えに、干した魚や小麦粉を交換してもらう事で毎年冬を越していた。
ぼんやり歩いていくと、やがて森を抜けた。 俺が住んでいるレガホ村は、村を抜けてすぐに海があるので、森を抜けた辺りの高地からは地平線の彼方に広がる海が見渡せた。夕焼けに照らされた海の波は煌々と輝き、目が痛いほどだったが、俺はこの景色を見るのが好きだった。
村に入り自宅を目指そうとしたが、辺りが異常に静かな事に気づいた。いつもなら、ちびっ子達が木の棒で剣士の真似事に興じているはずだし、酒に溺れた老人が地べたに這いつくばってるはずなのだが、いずれも見当たらない。
妙な胸騒ぎを覚え、歩を早めた。
その時、遠くで微かに人の声のようなものが聞こえた。俺はそちらに駆け出す。
村の外れの方まで来た時には、人の悲鳴や喚声に混じり、怒号も聞こえてきた。
俺は物陰に潜み、覗き見た。
海の浜に村の人達が集められ、両手剣や戦斧を持ち、鎖帷子を着た屈強な男たちに囲まれていた。男たちが抵抗したのか、数人が見せしめに殺されたようだった。女達は自分を待ち受ける運命に絶望し、咽び泣く者もいれば、子供を必死に抱き抱えている者もいた。
俺は今まで何度も見たことがあるから、瞬時に海賊だという察しは着いた。海賊は、こうして村を襲い、女子供を奴隷商人に売り飛ばし、金品を略奪する。しかし、ここまで旨みのない辺境の土地まで海賊が出没するとは想像していなかった。
俺は立ち上がり、自宅へと歩き始めた。このまま行方をくらましても良かったのだが、俺はこの村に来たばかりの頃の記憶を思い出していた。
今から4年ほど前まで、当時28歳の俺はこのアルバー王国のあちこちで、傭兵団〈戦鬼の大鉈〉の団長として戦い続けていた。アルバー王国の中でも5本の指に入ると名高い傭兵団だった。
しかし、ある日隣国ブリテルナの策に嵌り、壊滅した。団員はほぼ全滅した後散り散りになり、俺は満身創痍の中この村の村長に拾われ、介抱された。
内臓や骨にも傷を負っていたので、死ななかったのはまさに奇跡と言えた。
今まで数え切れない程人を殺してきた俺を村の一員として受け入れ、その上孫娘を貰い受けた後娘も出来た。
その事から、俺はこの村の村長には恩を感じていた。
(......ここが俺の死に場所なのだろうな。)
残念ながら村長の恩に報いることは出来ないだろうが、妻のフェミニと娘のシュルナが、蛮族共に攫われていくのを黙って見ている事など、到底できなかった。
家に着くと、物置に入り、もう2年ほど触っていなかった愛剣を引っ張り出してきた。
手入れすらされていない愛剣は埃を被っていた。払い落とすと、右手で持ち、抜き放つ。
手に慣れた両手剣の持ち手は、懐かしさを感じさせた。そして、久しぶりに感じる死の予感に、体が震える。鼓動が高まるのを感じ、興奮している自分に少し呆れた。
(以前のようには動けないだろうが、剣を振れないほど鈍っていなさそうでよかった。)
俺は、剣を片手に家を飛び出し、村の道を駆ける。
久しぶりの全力での疾走に、胸が驚いているのを感じる。背中の辺りに汗が滲み出てきた。
最後の家と家の間を通り抜け、一瞬潮の薫りを感じると共に、浜辺へと飛び出した。
日は沈みかかり、空は紺に染まっている。男は大方殺されていたようだった。俺はその死体の山の中に村長を認めると、黙祷を捧げた。
海賊たちは、怪訝そうな顔をして、こちらを見つめた。
「誰だ、お前?」
海賊の男の1人がそう言いながらこちらに寄ってきた。辺りを見渡すと、賊は全員で50人はいそうだ。賊の中には耳の長い女の戦士も居た。
俺は目前の海賊へと一気に距離を詰めると、海賊の男は慌てたように両手剣で大振りの袈裟斬りを放ってきた。慌てて放たれた大振りを躱すなど造作もなく、紙一重で回避した。その後、俺は海賊の腕の肘から先を刎ね飛ばすと、首筋を横薙ぎに斬り払った。
俺は剣を一振し、血を落とした。 背筋を伸ばし、大きく息を吸い込んで声を張り上げた。
「この村を襲いし蛮族共、死にたい者から前へ出るがいい!」
海賊たちの中に動揺が走った。生かされている村の者達は呆気に取られた顔をしている。
「お前ら!何をぼさっとしとるか!!数で囲んでさっさと殺せ!」
海賊の頭領らしき声が響いた。海賊たちがにじり寄ってくる。
右から放たれた袈裟を剣で弾くと、左からの横薙を後退し回避すると右の海賊を蹴飛ばしながら、左の海賊の目を横薙ぎに切り込んだ。正面からの賊の袈裟を受け流すと、身を低め、足を切った後腹へ突き刺し、右からの袈裟を賊の体で受け止めた。
(かなり感が掴めてきたな)
俺は後ろから切りかかる敵の剣を全力で弾き飛ばすと、その手首を掴み首を刎ねた。俺は男の両手剣を奪い取ると、2刀で次々と賊を斬り飛ばしていった。
どれだけ切ったか解らず、視界が血で赤く染った頃、腕と脚が耐え難いほどの激痛を放ち始めた。俺は顔を顰め、呻き、一瞬の隙ができた。
その時、背中から腹の内まで激痛が走った。下に視線を移すと、腹から剣先が飛び出ていた。
呻き声を洩らすと共に口に溜まった血混じりの唾を吐き出すと、体が急に重くなった気がした。もはや戦う気力は起きず、得物を落とすと、群がってきた賊達によって、何度も剣を突き刺され続けた。俺は茫洋とした意識の中、かつての傭兵団で共に過ごした仲間たちの顔を見ていた。
目に光が差し込んだ。
俺は重い瞼を開けると、腹に強い痛みを感じ、声にならないうめき声をあげた。
(俺は生きているのか?)
霞んだ目を辺りに向けると、海賊も、それに囲まれていた村人たちも消えていた。
しかし、地面にうずたかく積まれた死体の山は、賊の襲撃が夢物語では無かったことを告げている。
俺は、猛烈な空腹を感じるが、下半身は感覚がなく、ピクリとも動かなかった。
次第にまた意識がもうろうとしてきたが、強い空腹だけに突き動かされた俺は、目の前に落ちている不思議な光を放つ青い物体を見つけた。よく見るとそれは、端に針のようなものがあり、青い身に黒い線が等間隔に並んでいた。
(蜂の類か?いや、選り好みなど今は無しだ!)
俺は空腹に任せて、蜂のようなものを口の中に放り込んだ。針を取り除くのさえ億劫に感じた。
噛みしめると、まるで石が混じった砂利を噛んでいるようだった。口の中に鉄の味を感じた。
暫く噛んだ後に飲み込むと、体が石のように固まり、耐え難いほどの高熱を体の奥から感じた。
俺の意識は、また闇の中に沈んでいった。
この日、一筋の青い光の柱が天へと伸びた。
それは半日ほども続き、その異常な光景を見た者達は、様々な憶測を飛び交わせる事になった。
赤いコートを身に纏う男は、石の城、というよりは城塞の砦から、戦場を俯瞰していた。
隣に侍る執事は、主がどんな光景を見ているのか、想像もつかなかったが、主にはまず間違いなく今も続く戦の戦場が見えている、と確信していた。病によって死の瀬戸際を彷徨った後、かのヴァルフェローの地へと招聘され神々の尖兵となり再びこの世に顕現された〈勇者〉様は今正しく目の前にいる彼その人の事だからだ。
曰く、〈勇者〉様ははるか遠くの地を見渡す事ができると言われている。神学者様方の見解によれば、神より加護を授かったのだ、という事らしい。
人知を超えた力というのは恐ろしいものだ、あまりに強大な力を手にした人間はいったいどんな心境なのだろうな、と私は思った。
ふと、視界の端に異質なものを感じ、そちらに目線を向けると、驚きのあまり、声を漏らしそうになった。
(青い、光だ。)
地上より伸びた青い光の塔の様なものは、空へと伸びて、雲を貫通している。余りにも美しく荘厳で、かつ恐怖めいた物を感じさせるその光景に、私は息をするのも忘れて魅入っていた
暫くして、視線を移すと、主もそちらを見ているようだった。
主は、愉快そうに微笑み、目を細めている。主は楽しみな事を考える時、よくこのような表情をすることを私は知っていた。それは私が主の教育係としても仕えていたからだった。
主は、私に目線を合わせ、毅然として言った。
「どうやら神は温い戦い等見たくないのだろうな。だが、俺に勝たせてもらうよ、この戦。奴隷を用意しておけ、100人以上だ。来たる戦いに備えねば。」
私は、頭をたれ「仰せのままに」と告げた。
ふと、体に力が入り、抜ける。
体の奥に熱を感じ、暖かかったが、手足は氷のように冷たく感じた。
目を開けると、昨日と変わらぬ青空が空にはあった。
(俺は死後の世界に居るのか?)
体を起こすと、手を握ったり離したりしてみたが、なんら異常がなかった。それから、腹の辺りを手で触ってみたが、刺創があるはずの場所はすっかり塞がり、傷跡すらなかった。
地面に手をつき、立ち上がったが異常がない。いや、無さすぎると言ったほうが正しいだろうか。
傷がなくなっているのも不思議だが、余りにも身軽だ、そして力が有り余っているようだった。
(俺の体に、いったい何が起こっているんだ?)
そして、もう一つ異常なところがあった。視界の左下に青い文字が浮かんでいる。
「level one」
見たこともない文字だ、と思った。俺は傭兵としての活動の中で、異国の仲間ができたこともあったのだが、このような文字は見たことも聞いたことも無かった。
(これは、もしやあの蜂は魔物だったのか?)
この世界には、魔物という摩訶不思議な生物がおり、ごくまれに見ることができるのだが、その大体が不思議な姿かたちをしているのだが、それを食べた者は呪いを身に宿すと聞いたことがあった。
不思議な事ばかりで頭が混乱していたが、今は妻と娘を追わなければ、と思った。
その日の夜、俺は旅装を整えた後、遺体を一か所に集め、火を放った。人の死体を放置すると、魂が常春の地へ招待されないと言われているからだ。
燃えていく遺体を見ていると、胸の中に穴が開いていくようだった。昨日までは陽気に笑っていた彼らは、今では物言わぬただの骸だ。
だが、命を拾ったからには、妻と娘だけは探し出そうと思った。それは誓いめいた物でもあり、自身に暗示をかけるようでもあった。
夜が明けるころ、燃やした遺体を埋め、村を発った。冬が来る前に王都へ付かねばならない。
迫りくる冬の予感を感じて、空を見上げた。
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