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精霊戯曲・其の一【アスロポリカの魔女】  作者: 其の子。
第一章・・・魔法研究会
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アスロポリカの魔女・・・魔法研究会5

 夜の静かな賑わいに満ちた通りを過ぎ、ハウス・レコに帰ると、もう夜のバー営業が始まっていた。常連客がいくつかのテーブルを埋めて、麦酒の入ったジョッキを片手に談笑している。ムクの姿が見えないが、この繁盛具合だと夕飯は期待できそうにないな――テーブルの間をすり抜けた時、カウンターの向こうから煙草の煙が漂っているのに気がついた。まずい――、忍び足で階段を上ろうとして、案の定不機嫌そうな声が掛けられる。

「遅かったじゃないか」

「すみません」

このハウス・レコの女主人、レヲミールは溜息交じりに煙を吐き出した。黙っていれば美人だが、どうにも柄が悪い。艶やかな赤い髪を無造作に束ね、大体半袖のシャツを肩までまくり上げている。

「うちの従業員に、長時間労働をさせるつもりかね。まあいいさ、どこで道草食ってきた」

レヲミールは顎でカウンターに座るよう促してきた。すごすごと椅子に腰かける。居心地悪そうなスウリをよそに、レヲミールは、「簡単なものでいいかい」と、即席の乾麺を戸棚から引っ張り出す。急に空腹感を思い出し、胃がくう、と鳴った。その音を聞いて、レヲミールはくすっと笑う。冷えたコップに、水を注いでスウリの目の前に置いていく。

「えっと、ちょっと研究会に入会して。それで学校に居残りを」

「研究会? 初耳だね」

声から不機嫌さは薄れているように思えた。安堵しつつ話を続ける。

「ああ、魔法研究会に」

「なんだって?」

レヲミールは露骨に嫌そうな顔をした。言うんじゃなかった――口を噤む。

「あのアホ、留学生にまで声掛けやがって。それで、お前さんは確か、魔法が好きじゃなかったんじゃないかい。どういう風の吹き回し?」

思いつくアホは二人いるが、恐らく男の方だろう。毛玉男のにやにやした顔を思い浮かべながら、水をちびちび飲む。

「なし崩し的に、入会しちゃって。研究会の人たちも、いい人たちばっかりだったし、試しに入ってみてもいいかなっていう気持ちになりました」

レヲミールは煙草を灰皿に突っ込み、やれやれ、と息を漏らす。

「あんまり、乗せられるんじゃないよ。魔法研究会は、学院の外にいる連中だって知っているくらい有名なんだよ」

「それって、いい意味で、それとも」

「悪い意味に決まっているじゃないか。女王には目をつけられているし、いつ何をしでかすか分からないって心配している奴もいる。文化交流は悪いとは言わないけれど、危ない橋を渡ろうとしたら拳骨だからね。これでも、この国ではお前の保護責任者なんだから」

レヲミールは拳をスウリの目の前に突き出してきた。反射で仰け反った拍子に椅子から転げ落ちそうになったのを何とか立て直す。

「女王に目をつけられているって。たかだか学生団体なのに」

「たかだか学生団体だったはずなのに、思いがけず優秀な研究成果を残し続けているからさ。悩みの種だろうね、国にとっては諸刃の剣だよ。間違いなく、国を豊かにするものを研究しているけれど、一つ間違えれば女王に刃を向けるような研究だから」

スウリは首を傾げる。

「研究内容、知っているんですね」

ああ、と、レヲミールは新しい煙草に火をつける。

「知り合いにね、魔法研究会に縁がある奴がいるんだよ。大体何をやっているのか、筒抜けよ。あんまり変なことをするんじゃないよ」

そう言いながら、レヲミールはスウリの前に出来上がった郷土料理の麺の皿を置いた。この料理のスパイスの独特な香りは嫌いではないが――ひと口食べて、手が止まる。ムクの作る食事がいかに美味しいかが分かった。

丁度、別のテーブルの客からレヲミールに声が掛かった。彼女がそっちを向いた隙にスウリは無理矢理麺を平らげ、大急ぎで自分の部屋へ引っ込んだ。


部屋の明かりを消して窓辺に寄りかかり、街を何となく眺める。瓦の屋根の群れを越えていった先に視線を投げる。あの辺が二番街、そこからさらに向こうには丘を重ねたような見晴らしのよい一等地にある一番街が見えている。

「となると、四番街は――」

恐らくこの反対側、スウリの部屋からは見えない位置にあるのだろう。少なくとも、この部屋から見える街並みはただ美しいだけで、それ以上でもそれ以下でもない。ヴィルゼー達がどんな場所に住んでいるのかいまいち想像出来なかった。

「ヴィルゼーはどことなく、良いところのお坊ちゃまな感じはあるけれど」

夜風に当たっているうちに身体が冷えてきてしまった。窓をそっと閉じ、布団に潜り込んだ。


 それから、スウリは毎日のように研究室に通った。魔法そのものについてはまだ半信半疑であったが、古文書の解読は謎解きみたいで面白かった。ロポリカステルの読み書きは、大体はレイズリーが教えてくれた。レイズリーの手が空かない時は、ヴィルゼーやフランカが勉強を見てくれた。

 察しはついていたが、魔法研究会の面々はこぞって秀才だった。教え方も上手く、スウリの努力の甲斐もあって、一か月もすると、簡単な本であれば辞書なしでも読めるようになっていた。

「スウリは思った通り優秀だね」

スウリの作った訳本を捲りながら、レイズリーは満足気にうんうん頷く。褒められることには慣れていない。照れ臭さでむず痒くなった鼻の頭を掻いた。

「どう、何か興味のある分野はあった?」

レイズリーの問いに、これまで読んだ文献の内容が頭にいくつか浮かんだが、ピンとくるものは無かった。

「ううん、まだこれっていうのは」

「まあ、そうだろうね」

レイズリーは朗らかに笑った。

「あっちの棚に、これまでの研究成果の資料やら論文やらがあるから、暇な時に読んでみて。スウリは留学生だし、あんまり大きなテーマの研究は難しいかもしれないけれど、スウリにとっての常識が、この国の魔法をどう解釈してくれるのかすごく興味ある」

レイズリーが指した方を見ると、分厚いファイルがいくつも本棚を埋めつくしていた。

「今月の共通試験の後は、スウリたちの学年は授業ほとんど無いし。暇な時はここで時間潰してくれたらいいよ」

「はあい、そうしまーす」

スウリが答える代わりに、背後からフランカが元気の良い返事をする。いつの間に、と振り向くより早くスウリの隣に滑り込んできた。

「会長、この間のレポート、無事に認可されましたわ。これでまた研究費が上乗せ出来そうです」

上機嫌にはしゃぐフランカに、レイズリーはにこにこしながら頷いた。

「しばらくは安泰かな。最近は学院も研究費を渋りがちだけど、よっぽど交渉大変だったんじゃない」

フランカはすっとぼけた顔でわざとらしく首を傾げた。ティズは、運営まで手が回らない上級生の代わりに二年生のフランカに副会長を任せたと言っていたが、きっと理由はそれだけではない。

 フランカに口で勝てるやつはそうそういない。言葉巧みに相手を乗せ、意のままに動かしてしまう。その能力があるからこそ副会長を任されている、ということはこのところの立ち回りを見ていて察した。

 この学院にはいくつかの公認研究会があるが、日々の研究成果が評価されなければ研究室や研究費が与えられない。月に最低一度は研究成果をプレゼンしなければ、研究費が貰えないどころか学院公認の印が抹消されてしまう。限られた研究費をより多く確保するには、他の研究会よりも成果を出すのはもちろん、それを上手くプレゼンする能力が無ければならない。

 研究費や重要資料獲得の交渉に、レイズリーよりもフランカの方が前に出ていくことが少なくないのは、フランカの巧みな弁舌が頼りになるからだろう。今回も口八丁手八丁で丸め込んできたようだ。

「魔法工学の薬学への応用――あのレポートを書くのにみんなかなり苦労していたからね。あれで申請が通らなかったらみんなのモチベーションがた落ちだっただろうね」

レイズリーは笑いながらバルコニーの方を一瞥した。「みんな」というか、ルーニアを気にしているな――同意見らしいフランカと目配せをした。

 研究費申請のためのレポートは、専門が史学のレイズリーを除いた上級生四人で作成していた。中でもルーニアは、自由奔放に目の前の研究に没頭する他の三人を上手く取りまとめて本文の大半を書き上げた。二、三日前のルーニアは目の下を真っ黒にして頭を抱えて唸っていたので、レイズリーもどことなく落ち着かない風でその近くをずっとうろうろしていた。ティズやココに絡まれているのも気が付かない程、ルーニアしか見えていなかった。

 二人が恋人同士と知ってはいるが、レイズリーがルーニアに向ける視線はどちらかといえば片想いのそれだ。まあ美人だし、面倒見もいいしなあ――熱い視線を送ってしまうのは分からないでもない。今もレイズリーはルーニアを目で追っている。当のルーニアの方はといえば、そんな視線はしれっと受け流してココとのお喋りに夢中のようだ。

 不意に、背中を叩かれた。振り向くとヴィルゼーがいつもの様にチョコレートを齧りながら気だるげに立っていた。

「スウリ、新しい資料が届いたから仕分けするの手伝って」

そう言って指さした先には、真新しいダンボールがいくつも置いてあった。つい溜息が零れる。

「フランカも、手が空いたなら手伝ってくれる?」

いまひとつ様にならないウインクを飛ばしながら、ヴィルゼーは資料の方に向かっていった。「やるやる」と、フランカは優雅なステップでも踏むようにその後に続いた。仕方なく、目の前の古文書に栞を挟む。


 ヴィルゼーが常々甘い物を食べているのは、頭の回転が早すぎるからだということに最近気がついた。大の甘いもの好きというよりは、脳が物凄いエネルギーを使い果たしてしまうが故の糖分摂取というわけだ。

 魔法研究会に届く文献のほとんどは難解なロポリカステルがびっしり書かれているものだが、ヴィルゼーは数ページ捲るだけでその資料のざっくりとした内容を把握出来るらしい。今も、さくさくと資料をそれぞれ専門のメンバーに振り分けている。

 スウリとフランカで、振り分けられた資料をひたすらラベリングする。何せ量が多いので、これだけでもかなり重労働だ。こうやって手分けをしても、なかなかすぐには終わらない。

「よくそんなに早く読めるよな」

スウリの言葉にちらりとだけ視線を寄越して、甘党男はニヤッと笑った。

「慣れだよ、慣れ」

あっという間に資料の山を振り分け終えて、ヴィルゼーは革張りのソファに寝転んだ。ラベリングはまだ終わっていないぞ――と声を掛けようとして、思い留まる。ヴィルゼーはこの手のちまちました作業が得意ではない。ラベルは絶対クシャクシャになってしまうし、酷い時はうっかり貴重な資料を破いてしまうことすらある。適材適所だ。

「今回の資料、フランカのやつ随分多いんだな」

仕分け用のトレイに乗せられた資料の山を見比べると、群を抜いてフランカの山が高かった。いつもなら、ルーニアやロイのトレイがいっぱいになっているのだが――フランカは自分の山の資料をいくつか捲って、「次のレポートに必要なネタが豊富に集まってくれたみたいね」

とコロコロ笑った。ちらりと盗み見るが、スウリにはちんぷんかんぷんだった。

「生活学だっけ、お前の専門」

「そうよ。興味あるの?」

「生活学って具体的に何を研究してるの」

「んー、今は先輩方の研究成果を実生活にどうやって反映していくか、みたいなことをテーマにはしているけれど」

「魔法のある生活ってどんな感じかなっていうのを、僕らは研究しているわけだよ」

ソファの毛玉も会話に混ざってきた。

「今は魔法が使えないけれど、昔はそれで国が栄えていた訳だから」

「でも、それって」

ひとつ間違えれば、この国から魔法を廃した女王に対する謀反と取られかねない研究では――スウリの不安を見透かしたように、フランカは首を横に振る。

「悪い事を企んでいる訳ではないわよ。あくまで、国を豊かにするために魔法の代替を探しているだけ」

そう言って資料の束を抱え上げると、フランカはテーブルの端に陣取った。フランカの資料の束に何となくもやもやしたものを感じたが、その正体が何なのかは分からなかった。

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