アスロポリカの魔女・・・魔法研究会2
そこは円形の空間だった。二階建ての吹き抜けになっており、天井に届く本棚には古めかしい本がぎっしり詰め込まれている。ドーム状の天井は所々に色のついたガラスが張られ、空中の塵を様々な色に煌めかせている。夢の中にいるような雰囲気に、思わず息を呑む。
「そいつがスウリ君かい」
不意に、真上から声が落ちてきた。顔を上げると、二階部分から見慣れない男子学生がこちらを見下ろしていた。伸びた髪を後ろで括っている。
「ええ、会長。スウリ、この人は魔法研究会の会長よ。五年生のレイズリーさん」
レイズリーはフランカの紹介に、片手を上げて応じた。スウリも慌てて会釈すると、彼はにっこり笑った。
「ヴィルゼーから入会希望だって聞いているけれど、本当かな」
背後の毛玉を振り返ると、知らぬ顔で板チョコレートを齧っている。勝手に吹き込んだな、この野郎――内心吐き捨てながら、レイズリーにやんわり否定しようとすると、フランカに背中を小突かれた。
「スウリ君は入会希望ですわ、会長。入会届もこの通り受け取っております」
フランカは一枚の紙切れをぴらぴらさせて笑った。名前欄には書いた覚えのないスウリの名前が書かれている。
「おい、お前。勝手に何を」
奪い取る間もなく、フランカは階段を踊るように駆け上がり、レイズリーに届を手渡した。人の好さそうな顔をいたずらっぽく曲げて、レイズリーは笑った。
「うん、確かに受理したよ。入会ありがとう」
それから、部屋中に聞こえるように手を数回叩いてみせた。
「みんな、集合。新しいメンバーを紹介するよ」
号令に、部屋のあちこちから学生が顔を出した。一体どこに隠れていたのだろう、現れた四人はスウリを興味深そうに眺める。
「留学生のシキ・スウリ君だ。二年生で、ヴィルゼーのクラスメイトだよ。非常に優秀な学生だ。みんな仲良くやってくれ」
スウリの正面に立つ、大柄で筋肉質な男子学生が手を差し出してきた。
「君がスウリか。ヴィルゼーから話は聞いているよ。俺は四年のティズ。よろしくな」
「はあ、どうも」
釣られて握手を交わす。やけにがっしりした手をしている。
「ティズは大工の息子でね。見た目は厳ついが、いい奴だよ」
「会長、厳ついは余計ですよ。家業を手伝っていたら、こうなっただけさ」
ティズは腕まくりをして見せた。上腕二頭筋がぐん、と盛り上がる。これは下手な事はしない方が良さそうだ――隙をついて逃げ出す気持ちはしゅるしゅると萎んでいった。レイズリーは「次、次」と別の学生をスウリの前に押し出す。制服を着崩し、派手な化粧をしている女子学生の、ピンクに染められた髪に見覚えがあった。学内で時々見かける顔だ。
「あたし、五年のココ。よろしく」
鼻にかかる甘い声で彼女はそれだけ言うと、ふらりと二階へ歩いて行った。去っていった方を見上げると本棚の陰にガラス戸があった。
「バルコニーがあるのよ。ココちゃんはあそこがお気に入りなの。私はルーニア」
派手なココとは対照的に、黒い髪を肩まで伸ばした清楚な女子学生が、にっこり笑ってそう言った。「どうも」と、会釈をすると、ルーニアは小さく頷いて、ココと同じように本棚の向こうに去っていった。「会長のカノジョ」と、ヴィルゼーがすかさず耳打ちしてきた。チョコレートの甘ったるい匂いに、思わず顔をしかめる。
「最後は僕だね。ロイ。三年」
本棚に寄りかかっている赤毛の男子学生が手をひらひら振った。スウリが会釈をすると、満足げに手元の本に目を落とした。レイズリー、ティズ、ココ、ルーニア、ロイ。心の中で繰り返し唱える。改めて部屋を見回した時、両側から肩を叩かれる。振り向くと、ヴィルゼーと
フランカがガッツポーズをしている。
「ようこそ、魔法研究会へ」
二人は声を揃えて楽しげに言った。スウリは渋い顔で溜息をつく。
「嵌めやがって。俺は入会する気は無かったのに」
「いいじゃないか、これも留学の醍醐味だと思ってさ。魔法なんて、他所の国じゃ研究出来ないだろう」
ヴィルゼーはへらへら笑った。その緩んだ頬を抓る。
「魔法なんてもの、空想の中にしかないものを研究するなんて馬鹿げているよ」
はは、と明るい笑い声が響く。声の主はレイズリーだった。
「確かに魔法は実在するよ。けれど、魔法の話はタブーなんだ。この国の国民にとってはね」
レイズリーはそう言うと、机の上に高く積まれた本をどかした。本で見えなかったが、部屋の一角には粉塗れの小さな黒板が掛けられていた。
「入会したての君に、魔法についてレクチャーしてあげるよ。ロイ、一番分かりやすい図説をスウリに貸してやって」
赤毛のロイは本棚から一冊本を抜き取り、こちらに差し出してきた。それを手にすると、ずっしりとした重みを感じる。適当にページを捲るが、年表やら、不可思議な絵や、何を写したのか分からないような写真が並んでいてちんぷんかんぷんだった。
「空いている椅子、適当に座って。ヴィルゼーとフランカも、その辺片して席についてくれるかい。図説、いいところ開いてあげて」
はあい、とヴィルゼーは三人分の椅子を引き出し、あくび交じりの返事をした。促されるまま腰掛ける。眠たげなヴィルゼーに苦笑しながら、スウリの隣に座ったフランカがページを捲ってくれた。そこには、「国の起こり」とタイトルが記され、見開きのページには大きな絵画の写真が印刷されていた。
「じゃ、始めるよ」
レイズリーは小さく咳払いをした。
「この国、アスロポリカでは、古くから魔法を使って文化を発展させてきた。そのページの絵は、今から数百年前に国を治めていた女王が、魔法を使っているところが描かれているんだ」
黒板に、几帳面そうな字が並ぶ。
「この国で一番重要な建造物って何か分かるかい」
「重要な建物、と言えば、王宮ですか」
レイズリーは頷き、黒板の真ん中に円を描いた。アスロポリカの女王が住まう城は、レイズリーが描いたように真っ白な円柱型をしている。スウリも留学したての頃に一度だけ入ったことがあるが、その外壁は凹凸がなく、不自然なほどつるりとしていたのを覚えている。王宮内の至る所に衛兵がうじゃうじゃいた。何となく不気味で、居心地が悪かった。
「あれは、建国された時に建てられたものと言われている。女王が、魔法を使ってね。自然に出来たにしては人工的だし、人工物にしては劣化も無いし、美しすぎるだろう」
スウリは素直に頷けなかった。
「あの、そもそも魔法って何なんですか。誰もそれらしいことをしているところは見たことがないし、歴史に登場していたって、神話の類と同じように伝説レベルの話なんじゃないんですか」
隣でフランカが呆れたように溜息をついた。
「スウリ、あなたは絵本の中の魔法使いって見たことが無いのかしら。魔法は魔法、確かにあるのよ。魔法を使えばそこに水が湧き、花が咲き、風が吹くわ。神話や伝説みたいな、そう昔の話をしているわけじゃないんだから」
スウリにしてみれば、自分の方が溜息をつきたいくらいだ。
物語の中の魔法使いはスウリもよく知っている。杖を振り、箒に跨り空を飛んだりするのだ。天気を操り、災害すら自在に起こすことが出来てしまう。現実的に考えて、全くもって有り得ない。不機嫌そうに口を曲げるスウリをいなすように、レイズリーは優しい口調で続けた。
「信じられないだろうが、本当に魔法はあるんだ。ではなぜ、この国で今、魔法がタブーになっているのかを教えてあげよう」
レイズリーは円の真ん中に、女王の名前を書いた。ケイプカリス――留学時の挨拶のために王宮を訪れた際、遠目からその姿を見ることが出来た。見たところ、二十代半ば程の年若い女王だったはずだ。
「今から百年ほど前までは、ごく普通の庶民も魔法を使って生活していた。しかし、当時の政策に不満を持った庶民が魔法を使って反乱を起こそうとした。その時、女王陛下はその強大な力で反乱を抑え、庶民から魔力を全て奪い取り、首謀者とされた魔女たちを次々と処刑なさった。これは後に魔女狩りと呼ばれるようになる。代々、魔法を操る女性が王座に就いてきたこの国だからこそ、陛下は女王の座を揺るがす魔女の存在を許さなかった」
円の外側に描いた人型の上に、バツ印がつけられる。
「そうして、この国唯一の魔女となったケイプカリス様は、得た魔力により不老不死の身体になり、なんと今年で齢百三十歳」
「ひゃく、さんじゅう」
スウリは目を剥いて、背もたれに思い切りもたれかかる。ギィ、と不穏な鈍い音がした。どうやらあまり体重をかけない方が良いらしい。慌てて姿勢を正す。
「そんなこと、あるわけない。どうせ姿かたちの似た人間が入れ替わりながらケイプカリスという名前を名乗っているに決まっている」
一気に捲くし立てると、隣から脇腹をつつかれた。
「スウリ、あんまり下手なこと言うと不敬罪で捕まるぜ。留学生だから、っていうのは通用しない相手なんだから」
眠りかけていたヴィルゼーが、何かをスウリの方へ投げた。スウリがキャッチしたそれは銀紙に包まれた一口大のチョコレートだった。勢いに任せて乱暴に口に放る――雑に剥いた包み紙を手の中で弄ぶ。レイズリーも苦笑しながらチョコレートを口に含んだ。
「その通り。女王陛下は少々恐ろしいお方でね、滅多なことは言わない方が身の為だよ」
一言言い返そうとしたが、隣のフランカに制される。残念ながら、とフランカは首を横に振りながら言った。
「魔女はいるし、魔法はあるの」
レイズリーは頷き、静かな目をしてスウリに向き直る。
「女王陛下は反乱の芽を摘むため、魔法が使える人間から尽く魔力を抜き去った。だが、当然魔女であることを隠して生き永らえようとした人達もいたんだ。けれど、とうとう隠しきれなかった。最後の魔女が十七年前に処刑され、この国の魔女はとうとう女王陛下だけになってしまった。最後の処刑の様子を幼い頃に実際に見たけれど、うん、あれは凄惨な光景だった。謀反を企てていると嫌疑がかかれば、同じ目に遭うかもしれない。魔法という言葉を、誰も言えなくなった。だから、魔法はこの国の国民たちにとってタブーというわけ」
納得しようにも、そう出来ない。スウリは首を捻る。
「ううん。ひとつ聞きますが、タブーだって言うんなら、国で唯一の王立学院に魔法研究会なんてものが存在していいんでしょうか。魔法を研究しているなんて、それこそ罪になるんじゃ」
いい質問だね、とレイズリーはにこにこ顔で言った。
「初めに言ったように、魔法はこの国の文化の発展に大いに寄与してきた。この国の未来にも、恐らく欠かすことの出来ない重要な力であるだろうね。勿論、魔法の使い方を研究することは、謀反の疑いをかけられかねないけれど、魔法によって成長した数々の文化や文明は、今後のために研究していく意義がある。いろいろと制限はあるけれど、女王陛下の許しを得て、国で唯一魔法を研究出来るのが、この研究会なんだ」
レイズリーはふう、と息をつき、黒板を消し始めた。どうやら講義は終わりらしい。フランカも立ち上がり、図説を本棚に戻す。いまひとつ納得出来ずにうつむいていると、ヴィルゼーがまたチョコレートを投げてきた。今度は取りそびれ、小さな銀の包みが床に転がる。拾おうとして屈むと、テーブルの下に紙切れが落ちているのが目に入った。チョコレートと一緒に拾い上げると、新聞の切り抜きだった。
「なんだ、これ」
ヴィルゼーに見せると、ああ、と欠伸交じりの声を漏らす。
「街中のちょっとした噂話さ」
『長い黒髪の魔女、現る』と大きな見出しのついた記事は、それほど長い文章ではなかった。ざっと目を通して、テーブルの上にそっと伏せた。確かに、噂程度の事しか書かれていなかった。
「今までの話の通りだったら、こんな記事出回るかな。女王にしてみたら、地雷みたいなものじゃないか」
「そうよ。だから女王軍の兵士があちこちで魔女を探しているの。最近増えたでしょ、街中にうじゃうじゃいるの。法外なレベルの懸賞金も掛けられてて、見つけたら一獲千金よね」
フランカは目をきらきら光らせながら言った。金という文字が透けて見える気がする。
スウリは記憶を振り返るが、スクールバスで通学しているため街を歩くことはほとんど無く、バスでも下宿先でも本ばかり読んでいるせいで周りの景色にはさほど気を配っていなかった。曖昧に返事をする。黒板を消し終えたレイズリーは、難しい顔をしてテーブルの上の記事を睨む。
「まあ、あくまで噂話程度のことだからね。王府の連中も大きい動きも出来ないんだろう。決定打があったら何かしでかすかもしれないけど」
「それにしても、それだけ残虐なことをしているなら、女王を恨んでいるやつなんてたくさん居そうなものだけど」
スウリ、とフランカが窘める。
「それ以上は言わないで。最後の魔女が死んだ後、女王に対して反乱をしようとした勢力がいなかったわけじゃないけれど、尽く潰されたわ。迂闊なことを言って、捕まっても誰も助けられないわよ」
スウリは口の中で出かかった言葉を飲み込んだ。一体いつの時代の話をしているのだろう。独裁国家なんて今どき考え難い話である。
ふと腕時計を見ると、スクールバスの最終便まで五分も無かった。
「分かったよ、もう何も言わない。バスが出るから、今日はもう帰るよ」
スウリは鞄を肩にかけ、慌てて部屋を飛び出す。背後からヴィルゼーの呼び止める声が聞こえたが、気のせいということにして階段を一気に駆け下りた。
2020/10/07 一部表現を修正いたしました。