5. 飼い犬
後書きにて語句・元ネタの説明等々入れております。
暁美姉さんの指に挟んでいるタバコの煙が、ゆっくり立ち昇っている。
風がない。テーブルの隅では、泉姉さんが時折カタログをめくる音がパラリと
聞こえる。焦る心境の僕とは裏腹に、ゆったりと流れる時間。
これが逆に、妙な居心地の悪さを感じさせる。
「……新川君」
泉姉さんがカタログに目を向けたまま、落ち着いた口を開く。
「ハイ」
不意に話しかけられ、思わず敬語になってしまう。
「Dコンの調子はどう? 」
Dコン……机と一体型のコンピュータ。机でもあり、コンピュータでもある。
高校入学に伴い、泉姉さんに見繕って組み立ててもらったもの。
机の引き出しなどの収納スペースはパソコンと一体のため、収納体積は小さいものの、電子媒体メインだから不便はない。排熱性も高く、手入れも楽。
「とてもいいよ。耳に着けると考えてることを、形式に応じて立ち起こしてくれる思考読み取りシステム。
加えて視線で瞬時にファイルも開けて、マーカーも引けるアイキャッチ。
立体映像とタッチ式の仮想映像のEタッチマップ。
仮想キーボードやディスプレイの反応も速いし、疲れない!
仮想3Dの本はめくれるし、映像は360度視点変更可能だし、容量、処理、解像度……どれも申し分ないよ」
「それはよかったわ。事務室のサーバと繋いでるから、部屋でできて楽でしょ。
それで、最近遅くまで部屋の明かりがついてるみたいだけど、何かやってるの? 」
「おーおー、高価な端末を与えておいて、そういうのを男の子に聞くのは
よくないよ」
タバコを灰皿に押しつぶすと、暁美姉さんが会話に入ってくる。
「そんなおかしなのには使ってないよ! 」
灰皿を机に置くと、イスの背もたれを前にしてもたれかかり、身を乗り出して聞いてくる。
「暁美、行儀が悪いわよ」
「どっち? アタシ? それとも、高校生の男子に用途を聞くこと? 」
「どっちもよ。で、何してたの? 手伝えることなら、いくらか手伝うわよ」
泉姉さんが長い黒髪を一本に束ねていたゴムをほどき、結び直す。
「自動掃除機作ってたんだ」
「自動掃除機? 音声認識の?」
「うん、そう。簡単なキット。後はメーカーの説明書と各取り寄せのパーツの説明とか、立体映像で場所取らないから」
「それで夜遅くまでってことね。いつできるのかしら?」
「あまり期待はしないでよ。窓の取付用か、床を自動で走り回る程度じゃないかな」
「それでも、大したものじゃない。大きなことも1歩からよ。いいわね。
高校生でほぼ最新式のDコンがあったら、勉強の時間も大幅に短縮できるし、
その分野の趣味なら、なおさらよ」
こういう所でほとんど説明が要らないのが、泉姉さんだ。
口数が少ないというよりは大体のことは把握しているから、ほとんど聞く必要も話す必要もないという調子だ。
「じゃあ、今度部屋に明かりがついてる時はお邪魔しようかしら?」
「時間があるんだったら。泉姉さんも、毎日遅いみたいだけど」
「大学の課題が多くてね。機能にデザイン、用途を考えるとキリがなくて、今日も……」
「はいはい、泉さんもそういう話題はそこまで」
泉姉さんとの会話がのってきたら、暁美姉さんがストップをかける。
「ほら、最近髪型も変わり映えしませんな、お嬢様。たまにはこちらも最新にしないと、本格的に男が遠のくぞぉ~? 」
「いいのよ。見かけで寄ってくるのは、その程度ってこともあるのよ」
「確かになぁ。それが泉の恋愛哲学ってかい?」
「そんなたいそうなものじゃないわよ。それに、私達が髪を変えたり男が近寄ると嫉妬するのも、ここにいるのよ」
泉姉さんが、なにやら余裕の微笑みで見てくる。
「へぇ、そうなのかなぁ~?」
暁美姉さんが僕に顔を近づける。
「え? 僕? そんなんじゃ……!」
つい、アダプタ……じゃない、アタフタしてしまう。
「そうそう。じゃあさ、あたしもそのスムーズな立体映像で見たい作品があるわけよ。見に行っていい?」
うろたえる僕を無視して暁美姉さんが話題を切り替える。こうやって、いつもからかってくる。
「いいけど、お酒とタバコはダメだよ」
「はいはい、たまには一杯付き合ったところで、バチは当たらないって。
貴族特権条項にも入ってんだろ? 14歳以上は家庭内、外問わず保護者同伴において飲酒は……なんだっけ?」
「飲酒はアルコール度数7%以下、呼気検出量0.03mgまで。
公式の場においては度数15%程度のグラスワイン1杯まで認める……だったかしら? よくこんなもの覚えてたわね」
「そう、それ。最高だぞ~、ワイン飲みながら舞台映像鑑賞! よし! 今晩はこれで決まり! 」
「よし! じゃないよ! 僕はアウトでしょ! そんなことしてたら、ますます肩身狭くなっちゃうよ」
「何の話?」
「私たちがいない間に、随分と賑やかですね」
食器洗いを済ませた友理姉さんと巻姉さんが戻ってきた。
「あたいたちが彼氏つくると、この坊やが嫉妬するんだってさ」
「それは終わった話じゃ……!!」
暁美姉さん得意の不意打ちだ。こうして話題を自由に掘り返しては、からかってくる。
「……そうなの?」
おもしろがった表情で、友理姉さんが聞いてくる。
――確かにそうだった。けれど、「そうなの?」と聞かれて100%「はい、そうです」とは言いたくなかった。
「50%くらいは……」
「なんだそれ? はっきりしないやっちゃな」
「私たちの恋人になるのも嫌だけど、恋人を作られるのも嫌だってことよね?
続くん?」
巻姉さんがやさしい表情と口調とは裏腹に、心臓にやさしくない一言を挿してくる。悪意はないのかもしれない……、その眼鏡越しの笑顔が恐い。
脇と背中からツー、と冷やりとした汗が線を引いていく。
(「はい、そうです」と答えておけばよかったかも……)
こうしたらこうしたでからかわれるのが目に見えていたが、少し後悔した。
「まあいいわ。それは、また今度追及しましょう」
こういう時に頼りになるのが友理姉さんだ。助け舟を出してくれる。
「おお、見逃すと見せかけてじわじわ追いつめるとは、友理さんも人が悪い」
……暁美姉さんは相変わらず、蛇のように絡みついてくる。
「恋人といえば、新川君。婚約者? って言うのかしら。いるじゃないの」
友理姉さんの思い出したような一言に、ビクッとしてしまう。話題の転換先は、
助け舟なんかではなかった。
「あ、そうだよ。あの高崎って気の強い嬢ちゃんがいるじゃん。
ちょうどいいや。まほちゃんの代わりに呼ぼうぜ。うちの構造も分担も知ってんだろ? あの子」
思わず顔が引きつってしまう。
「いや、でもさ……なんていうか、昔のことだし」
「でも向こうは覚えてんだろ? あんたのどこがいいのかわからないけど、
気に入られてるんだろ?」
「ほら、両親が離婚する前に、母さんが勝手に決めた話だしさ……」
「なんだぁ? はっきりしないやっちゃな。誰か通訳頼む」
「一緒に住みたくないってことよ」
友理姉さんが一言入れる。
「なんだよ、最初からそう言えばいいじゃん」
「あの子のことだから、聞きつけたら飛んできそうなものだけど、ね」
泉姉さんが、つぶやくように言う。
その一言にゴクリとツバを飲む。ようやく本題に入ってきたと思ったら、
どこかに閉まっておきたいような、予期せぬ問題が引っ張り出てきた。
「来てくれると、にぎやかにはなりますね。続くんには肩身が狭い話かもしれませんけど」
「まあ、その話も今後解決することを祈って……まほちゃんの代わりは、大事だよね」
途切れ途切れに口を出す。
「それじゃあ、中学の同級生はどうなの? 大一君も卒業後はあんなに家に来てたのに、高校に入ってからは全然見ないわね」
「ほら、高校も違うし、部活もあるから」
「何部だっけ?」
「バンド部って言ってたかな。もしかしたら、同好会だったかも」
「それじゃあ、時間なんてないわな。この際、男手でも猫でも人手が足りれば
文句ないけどな」
「ええ、仕事も私たちに教わるのが嫌でなければ、ですけど」
「そうだね、女の人に対する理想は崩れちゃうかも――」
言ってはいけない言葉だと気づき、口をつぐんだ時にはもう遅かった。
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
その場の空気が一気に冷め、冷たい視線に串刺しにされた。
顔の表情筋は痙攣したようにひきつり、まぶたと唇と喉は瞬く間に乾燥し、緊張で硬直する。
視線を上げることも、体の身動きも取れないまま、言いしえない心臓音と血液が一滴一滴、いや一玉一玉血管を脈打ち、通過するような振動と精神的に長い時間の沈黙に支配される。
……途端、根拠のない闘志が湧いてきた。
ゆっくりと立ち上がり、みんなの意識をテーブルよりも上に集中させると
カバンの位置を確認し、足でたぐり寄せる。今後の展開のために、慎重に逃走経路を選び、いつでもスタートが切れる状態に持っていく。
ふぅ~……と、長い深呼吸をする。本日も、心を決める時が来たようだ。
「みんな大学3年生になったんだし、単位とって講義は減ったとしても、GWが明けると試験に実習もあるだろうし、ゼミに飲み会に資格の取得、研究に就職活動や院に進むなら、進路先とかも忙しくなるんじゃない?
そういう時に、そういう時のために、今から募集しとかないと、日程が重なって仕事もろくに教えられなくなって、人も育たず、さっきの話じゃないけど、恋人できてもデートする時間もなく……いつかは、そう遠くなくみんなもここを出て……行く……わけ……だ……し?」
はぁ~……という重く沈んだため息に、思わず閉口した。
「嫌なことを思い出させて……いえ、未来のことだから思い出すわけじゃないわね。考え込ませてくれるわね」
一番に口を開いたのは友理姉さんだった。額に手を当ててうつむいている。
「本当ね」
泉姉さんが瞑想するように目を閉じている。
「………………」
巻姉さんは組んだ手先を黙って見つめている。
「………………」
暁美姉さんは両手を頭に回し、タバコを吸っているようにぼんやりと天井を眺めている。
「何ぼんやりしてるの!? 」
バン! とテーブルを叩き、友理姉さんが怒鳴ってきた。
「今日の授業は午後までよね。さっさと出て、次の人員を探しに行きなさい!
学校が終わったら同級生を誘うなり、知り合いに当たるなりなさい!」
「はい! 行ってきます!!」
友理姉さんがすごい剣幕をし、まくしたてられるように追い出される。
足元にあるカバンを取り、すぐに出口に向かおうとしたところ、巻姉さんがゆっくりと立ちはだかった。
「人員補充の目途が立つまで、帰って来ちゃダメですからね? 続くん?」
巻姉さんの眼鏡越しの目も、表情も笑っているのに、本能が危険を訴えている。
流れる汗が冷たい。
「は、はい! よ、よい成果を上げて参りますので、期待してお待ちを!」
思わず敬礼する!
「……できなかったら、今晩は抜きですからね? 」
「りょ、了解しました! し、失礼します!」
僕はそのまま、一目散に玄関を目指した。
暁美と泉が笑っている。
「あそこまでしなくてもよかったんじゃねえの?」
「二人とも、あれはやり過ぎよ」
「あのくらい、厳しいくらいがちょうどいいのよ。高校生になると、
頭よりも先に体と心だけ増長してよくないんだから。……ね? 巻ちゃん? 」
「え? わたしは、お使いを頼んだまでですけど……」
飼い犬のしつけをするような素振りであった。
Dコン、アイキャッチ、Eタッチマップ etc……
色々知らないような、聞き覚えあるような機能が出てきました。
本編で説明してある通りです。
こういうのを後書きやイラストで説明できたら、SFはもっと楽しくなるかなと思います。
そうそう。本文の説明では、固有の単語が出て……や――で説明ですね。
この説明方法は、俗に言う「TIPS」を参照しています。
『街 -machi-』(チュンソフト 1998年)に代表される、語句の補足説明ですね。
大型の机と一体型のパソコン、視線読取、仮想の3D映像、仮想のキーボードやディスプレイ。
あったら場所も取らないし、ストレスなさそうでいいですよね。
2025年を舞台にしたのも、この時代にこれくらいの物があったら現実的かつ、1歩先が見えて夢があるかなぁ、という理由からです。