grace
1 shameless
これは夢だ。ふと思った。体は廊下のような階段のような場所を歩いていた。足を止めて、周囲を見る。私は一人、木造の建物にいるようだ。右は壁、左には階段。後ろは段差のある坂、前にも同じ。上を見ると積み木遊びのように木が組まれていて、空は見えない。何のためかはわからなかった。夢だもの。仕方がない。
左に曲がってみる。階段をあがる。上階に顔を出すと、人が行き交っていた。アラビアンナイトのような、絵巻物のような、色々混ざった出で立ちの人々。私に目をやることもない。夢であるわりに、見知った顔はない。そういえば私の格好も、十二単に似ている。重くはないが、引きずる。それに髪も長い。短くしたばかりだったが、未練があったのかもしれない。しばらく伸ばそう。
人の川の廊下を渡り、上へ行く階段を見つけて進む。また廊下、今度はくだり、かと思ったら行き止まり。さては、寝る前にミステリーハウスをテレビで見かけたせいか。戻って、別の階段を上へ。人はいるが、静かだ。さっきまでがどうだったのか思い出せない。音などなかったのかも。
隠れるような小さなはしご階段を見つけて、のぼる。冒険みたいで楽しいが、冷静に考えてみればこれは夢だ。自分の脳内を探険しているということになるのか。
はしごをのぼりきった場所はひらけていた。ホールのバルコニー席のような場所から、手すりの外を、下を見る人がいる。長い山吹色の髪を背中で緩くまとめて、後ろ姿から気品や優雅さを感じさせる。気後れしつつ、とはいえ夢なので、私も手すりから覗いてみた。プールのようだ。あるいは長方形の溜め池、水槽。小さな影や、大きな影がある。泳いでいるのか、止まっているのか。
「なっ……! おい、おまえ! ここは陛下だけの」
「よい」
「はっ」
入ってはいけないところだったようで、叱る声に振り向こうとする前に、山吹色の髪の人が一言でおさめた。振り向いた時には、私に注意した誰かさんははしごを降りたのか姿を消していた。
「あの、すみません。勝手に入っちゃいけないとは知らなくて」
「よい。迷い子を責めはせぬ」
山吹色の髪の人は、私に微笑みを向けた。陛下と呼ばれたからには偉い人なのだろう。微笑みは柔らかだが、冷たい印象がある。美しい人、氷の微笑。手招かれて、彼に近寄ってみた。これが夢でなければ、凍りついて一歩も動けなかったに違いない。
プールを見下ろした。目を凝らす。大きな魚の死骸に、小さな魚が群がっているように見える。視線を山吹色の髪の人に戻した。見下ろして笑っているようだ。嘲笑っているようだ。こんなところで自分の短所を見つけて、ため息をつきそうになった。すぐに人をバカにするくせは、直さなければと常々思っているのだが。
「あれ? 人が、あ……」
人の姿をしたものがプールに落ちると、あっという間に小さな影が群がった。赤いものが広がり、それすらもあの影に飲み込まれた。くすくすと笑う声が聞こえる。バルコニー席は他にもあって、私がいる場所から一段、二段低い場所に、きらびやかな衣装の人たちがいた。これは、処刑のショーだったのだろうか。ますます自分の夢がわからない。万が一にも落ちないよう、手すりから離れた。
「ふふ、あの哄笑が耳障りなら、やつらを水に漬けようか」
「えっ、なぜそうなる」
「おいで」
声に操られるように、山吹色の髪の人のそばへ戻る。肩を抱かれ、プールを見下ろすように強制される。私もプールに落とされるのだろうか。その場合これはいったいどういう夢なのだろうか。
「恐ろしいか?」
露草色の目が私を見据えている。自問自答。自分に対してなど偽りはなく、答えは簡単だ。
「私があんな風にならないなら、こわくはないです」
露草色に驚きが浮かんで、
私は目覚めた。カーテン越しに太陽が明るい。手探りでスマホを掴んで、時間を見る。六時だ。ぐっすり寝たような気がするが、まだ六時だ。二度寝したら、夢の続きに戻れるだろうか。どちらにせよ、まだ六時だ。二度寝だ。
2 into you
見たような風景だ。積み木遊びのように無秩序に組まれた木。崩れていないというだけの秩序。
「大丈夫?」
「この廊下の不規則な段差、調子を狂わせて歩きにくくするためにあるらしいけど……あなたは転びすぎ」
「これで何度目?」
口々に私を覗きこむ顔が言った。知らない顔だ。天井が前に見えている。私は転んで、仰向けになって倒れているらしい。どんな転び方をしたのだろう。
「うん、大丈夫」
私の返事は違和感を与えなかったようだ。見知らぬ三人の女は、私を立ち上がらせて、歩き出した。後を追う。三人の服装や、建物の雰囲気、二度寝の前に見ていた夢と似ている。私の場合、二度寝して同じ夢を見る時、たいていは前回と同じ内容を途中から再生して、段々話がずれていくのだが、今日は違うようだ。
「でも本当に今回の件、皇妃様はお咎めなしなのかしら」
「そうだよね。いくらご寵愛でも、やっちゃいけない線はあるのに、あの方はやりすぎだよ」
「あら、知らない? そのご寵愛も疑わしいって噂なの」
「そうなの?」
「何でも、皇妃様は陛下の望まれた方に生き写しで、もとより身代わりとしての扱いだって」
「それにしたって、閉じ込めておけば問題も起こさないのに」
「あなたはどう思う?」
「えっ?」
いきなり話を振られた。どう思うかと問われても、何の話かわかっていない。陛下というのは山吹色の髪の人と同じだろうか。露草色を思い浮かべる。夢だからか、大雑把な印象しか残っていない。美しい人。山吹色。露草色。
「殺したくない、閉じ込めたくない、理由があるのかも?」
「どういうこと?」
「というか、自由にさせておかないと都合が悪いとか」
たとえばクーデターを企てていると知って泳がせているとか。夢というのはいつも意味不明だが、これは物語的な設定がある夢のようだ。小説でも書けというお告げかもしれない。世界だけ押し付けられてもストーリーを組み立てられないから無理だろうな。
会話が続かないなと思っていたら目が覚めていた。残念。掴んだままだったスマホの画面をつける。十二時だ。夢は短かったが、長い二度寝だった。休日とはいえ、そろそろ起きるか。
3 bad decisions
目の前にあるものは、生け花だろうか。最近、いつも夢の中で意識を持っている気がする。起きた瞬間に忘れる夢なら、違ってもわからない。周囲を見回す。
「じっとしていなさい」
背後から声。頭を動かして見回したのがいけなかったようだ。目だけで周りを窺うと、どうやら砂利の広場で生け花の発表会らしい。着飾った美しい女たちが中央に向かって並び、道を作っている。それぞれの後ろには男や女が数名ずつ。私も着飾った女の一人だ。目の前にあるものは作品と呼ぶには、こう、ごちゃごちゃしている。他も似たようなものなので、派手な花を、色とりどりに飾るのが主流なのだろう。うまくまとめている人もいるが、私の作品ははっきり言って下手だ。気になる。
「何を……?」
隣の女や向かいの女たちが訝しげに私を見る。白いのが邪魔。黄色は強すぎる。青もいらない。花を取り払って、木の枝二本だけにした。赤いつぼみは何の花か知らないが、咲くときに重ならないように向きを調整する。
「うーん」
完璧とは言わないが、さっきよりはいいだろう。シンプルイズベスト。自然が一番。
「奇抜なことを……」
「陛下の目を引くつもり……」
「末席が思い上がった……」
陰口が聞こえる。
「早く元に戻しなさい。陛下がいらっしゃるまで時間はある」
背後からも叱責。夢なのに悪口を言われて怒られて、散々だ。こんなことなら、山吹色の髪の人の夢を見た時に、夢占いを調べておくのだった。声を無視して、耳をすます。雑談が多い。陛下が来るまでにまだ時間がある、からだろう。
「皇妃様の体調がかんばしくないって本当かしら」
「この会は新しい皇妃選びの場なのでしょう?」
「しっ、まだご存命なのよ」
「下働きの平民なんて、早く席を空けて欲しいわ」
「百年前に皇帝となられた時には、后妃などいらぬとおっしゃったそうだけど、この十年で何があって一人二人と妃を見初められたのかしらね」
「秘密がわかれば私だって」
「あら、高慢なかたね」
悪口しか聞こえない。私、病んでいるのだろうか。そうかもしれない。現実は嫌なことだらけ。せめて夢なら楽しければいいのに、しょせん私の頭の中か、突然の異世界なんてことはない。
ゴーン、と、大きな鐘の音が響いて、みなが口をつぐんだ。合図だ。おそらく、ここで私たちが待っている陛下とやらが来る。
ぼんやり目を開けて、時間を見る。少し早い時間に起きてしまった。夢の続きは気になるが、二度寝をする余裕はなかった。
4 don't get any closer
いつもの夢の世界だ。なぜか確信を持っていた。廊下の雰囲気だろうか、私の衣装の感じだろうか。見覚えがあるような道行きを歩いたのか浮いて滑ったのか、たどり着いた場所には、灯りがあった。それに照らされる、山吹色の髪。薄暗い中に浮かび上がる。
「おや、懐かしいひとだ。あんなに恨みごとを言ったから、耳に届いて降りて来てくれたのか」
「恨みごと?」
「ふふ、違うか」
山吹色の髪の人は、微笑んで言った。はじめて見たときの氷のような冷たさは感じられなかった。夢の中で、同じ人なのかどうか考えるのはばかな話だけれども。
「あなたの依り代を妃にしても、あなたは二度と宿らなかった。今のその体も、そうなるのか?」
どういうことか、と首をかしげる。この場所が処刑を見下ろすバルコニーだと気づいた。
「はじめはこの場所で。次は、下働きの女、次は妃にと集められたうちの一人。すべて召し上げた。あなたの気配が残っているだけで、女どもは特別になった」
「じゃあ私のせいで、その人たちは人生を狂わされたんですね」
バルコニーの端へ近づいて、手すりから乗り出す。はじめの夢の中の体とは感覚が違う。身長や、体重が、おそらく違う。山吹色の髪の人が言うように、これは夢などではなくて、私がどこか遠くの世界の誰かに乗り移っているのかもしれない。見下ろしても闇。
「名を問いたい」
「あなたの名前は?」
「私にはもはや名がない。ただ、上、天、帝など。名を呼んではならぬと言われるだけの存在だ」
「ああ、そういう」
ことだま的な信仰がある国なのか。不敬だからというだけか。
「それで名前は? 周りはともかく、ご自分でもご自分の名前をお忘れになったんですか?」
「今夜は……よく話すのだな」
山吹色の髪の人の言葉は、ほっとため息をこぼすように響いた。慣れない視線に肌を刺されているような、見えない光線でもその目から放たれているような。
あまりいい感覚ではない。はっきり言って鳥肌が立つ。恋人を作ろうとしては躓いた、私の欠陥。誰かを愛しても、愛されても、繋がることのできない。触れることすらおぞましい。何かの欠落。
「私に執着しないで」
私の刃物を向けるような口調に、山吹色の髪の人の露草の花の目が閉じる。どうか、私を欲しいと思わないで。私にこだわらないで。私を愛さないで。どうか、世界中で唯一だと思い込まないで。
つくりおける罪を、蛍の……なんだっけ。悲しい、という感情。悲しくて、あわれ。夢から覚めて涙を拭くのは、いつぶりのことだろう。五年、十年。あるいははじめてかもしれなかった。
5 sweet beginnings
夢を見たような気がした。
そうだ、夢を見ていた。誰かにすがるように抱きついて、その背中に腕をまわしてしがみついて、泣き喚いた。それはまるでドラマか何かで見たシーンのようで、泣いている私と、それを見ている私。いつ夢から覚めたのかもわからず、私は目を覚ましている。
いつもの夢と違ったのは、中身を覚えていなかったこと。同じだったのはたぶん、世界。
「ああ、そうだ」
私に乗っ取られた誰かが、恋人とともに抵抗していた。もはや耐えられぬ、最後の別れのシーン。とはいえ、私が目を覚ました今は、彼女は彼女に戻れただろう。
私がこの夢を、あの世界の夢を見ることで、見るたびに、あの世界の誰かを傷つけている。人生を狂わせている。彼女は彼女に戻れても、山吹色が私を見つける。私の気配を嗅ぎ付ける。
見知らぬ世界の誰かのために、寝ないという挑戦をするほど、私は他人に優しくなかった。また、見るかもしれない、見ないかもしれない、夢の向こうの世界。山吹と、露草の。…………私はなぜ、許せると思ったのだろう。
6 i know what you did...
落ちる。落ちている。
見覚えのある処刑場だ。見下ろすのと見上げるのでは、雰囲気も印象も違って、すぐには気づかなかった。なんちゃら現象みたいなスローモーションは、これが私にとって夢の中であるから、夢の中でしかないからか。
このまま時が進めば、背中からプールに落ちるのだろう。長方形の溜め池、水槽。そこに棲む何かに食われるのだろう。
今回のからだの人間、この女性は罪人なのだろうか。有罪無実という可能性もあるが、山吹色は優しかった。少なくとも彼は公平な裁きを行うと……ああ、いや。違ったようだ。見下ろしている驚愕の瞳が、一対。やはり夢だ。だからこんなによく見える。
「中止だ! あの者を助けろ! 早く! 早くしろ!」
音声もスロー再生で、なんだかふざけているみたいだ。笑ってしまう。おかしい。笑える。
「ですがすでに執行はなされ」
「陛下の情を騙った罪は」
「もはや手遅れで」
周囲の人間が止めているが、山吹色の髪の人は自らプールに飛び込みかねない勢いで、この私を死の縁から救えとわめいている。
おそらくこの女性は、陛下の特別である私にからだを乗っ取られた女であると、名乗ったのだろう。私の気配がと彼は言っていたから、すぐに嘘はばれただろう。
「呼ぶ名さえ、知らぬのだ」
呟きまで聞こえるのは、やはり夢だからだ。私の言葉は、届くだろうか。夢ならば。
「だから、言ったのに」
山吹色の動きが止まる。凍りついたように、時間さえ止まったようで、背後に感じる水の気配が今以上には近づかない。それでも、露草色は私を見ている。きっと私の言葉が聞こえている。
「私はあなたのための救いなんかじゃない。私はあなたの特別になんかなりたくない。私は……私を、愛して欲しくはない」
さようなら。
もう夢なんて見たくない。
7 i'm a mess
復讐を果たしたような気分だった。何を失ったわけではなく、すっきりしたわけでもなかったが。八つ当たりをしたような罪悪感もあった。ヘッドホンで世界を区切って、好きなアーティストの音楽を大音量で流した。アリアナ、ビービー、カミラ。
夢は見ていない。あれとは別の世界の夢すら見ていない。
ふちから、あたたかいプールの中に、頭を沈める。そのまま転ぶように体もプールに落として、鼻から溺れそうな苦しさに気づかないふりをした。水の音がする。浮いてしまわないように壁を押さえつける。鼓動が強く響く。音楽が聞こえない。
8 one last time
炎上していた。夢を見ている。あの夢を見ている。燃え上がる木組みの城を見つめて立ち尽くす。炎に焼かれて目が熱い。
「陛下はどこか!」
「もしやまだ……!」
背後に突然現れたかのようなざわめきがうるさい。陛下を、山吹色を心配する声ばかりだ。炎上する城の中にまだいるとでも言うのだろうか。今どしゃ降りの雨が降れば、この炎に打ち勝てるだろうか。夢なら、降れ。
「……あ」
雨が、降りだした。
白く煙りだす視界に、困惑のささやきが広がる。誰かが、山吹色を見つけた。口々に陛下と呼び、やがて静まり返った。
「会いに、来たのか」
「いいえ」
否定してから、山吹色の声がこんな風だったと思い出した。
「救いとは呼ばない。ともにあって欲しい。私を否定して欲しい。その名前を呼ばせて欲しい」
「何もしなくていいからとでも言うつもりですか」
「ああ。何もしなくていい。望むように過ごせばいい」
煙りが晴れるころ、火が鎮まるころ、雨が止むころ、人の気配は徐々に消えていく。はじめから誰もいなかったように。仮にも陛下と呼ばれる立場の山吹色を、私と二人きり、焼け跡に残して。まるで夢のようだ。私が見ないものの存在が消える、ないことになる。山吹色が消えない。
「慈恩」
「……」
「私の名だ」
山吹色の身につけた飾りに映った自分の顔を見る。私ではない。私はやはり私ではない。この私はまだ誰かを乗っ取って、誰かの人生を狂わせている存在だ。
山吹色が頬を撫でる。手の甲で触れるか触れないかのあたり。
「同じ依り代に、ふたたび宿ることもあるのだな」
つまり私の今のこの体は、前にも乗っ取ったことのある誰かなのだろう。ごめんなさい。ごめんなさい。謝ってもきっと聞こえない。うわべだけの謝罪なんて、心底に眠る意識には届かない。
「私のからだを造ってくれますか? 私だけの」
「ああ。約束しよう。完成したあかつきには、私の隣に立ってくれ。そばに、いてくれ」
その人形がどんな様相かによる。山吹色の中で私がどんな形に見えているのか、それ次第。その人形があれば、今までと条件が変われば、二度と離れないかもしれない。あるいは二度と、訪れないかもしれない。この世界に。
「約束はしません」
9 grace
群青の魚が金魚鉢の中で固まったように動かない。まるで死んでいるみたいだと思った途端、ふわりと浮かぶように水面へ上がり、また潜った。生きている。
夢を見ない。壊れたヘッドホンの捨て方がわからない。あなたの世界の壊し方がわからない。あれから夢を見ない。