宿命 第三話
同じく旧暦七月九日の夕刻。浪岡にも事態の報告がなされ、大雨の中すぐさま兼平綱則は馬を走らせた。羽州街道(当時は今羽街道)を南西へ、水木館を目指す。水木を囲むは乳井建清と兵五百。予定では最後通牒が終わり、いつ攻めんしてもおかしくない……何としても止めなくてはならない。それは亡き水谷の懇願だけではない、水木は津軽家の生き残る命綱に化すかもしれないのだ。
日中の事、吉町の一行は石堂の率いる集団に襲われて、あろうことか亡き御所号の御子と母である安東の姫が奪われた。……彼らがいることで津軽家の名分が証明されるし、悪い言い方をすれば安東氏より人質を戴いた格好になっていた。……石堂が南部安東どちらへ向かうかは知れぬが、もし安東へ駆け込まれたら秋田勢と津軽氏の盟約は断たれ、戦争が始まるかもしれない。
“為信はこれほどの非道を浪岡に対して行いました。私はこうして御子と姫君をお救いし、秋田へ参ったのです”
……想像がつく。
ではなぜ、水木が生命線となり得るのか。……多田はすでに忘れているかもしれない。あの時は相当追い詰められていた。人間は悪い記憶を都合よく消し去ることができる。……だが多田が兼平に話したことをなかったことにしていても、兼平はそんなにも大事なことを忘れるはずがない。
“水木館主の水谷利実の養子は、実は川原御所の忘れ形見”
永禄五年(1562)、十六年前。川原御所の北畠具信は当時の御所号に対し反乱を起こし、一族はことごとく滅せられた。その中で運よく生き残ったは具信の赤子。
“反乱の首謀者の子ではあるが、同じ北畠の血を継ぐ者。育てて浪岡の忠臣とすべし”
そして水谷の元へ預けられたのだ。