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津軽藩起始 浪岡編 (1577-1578)  作者: かんから
最終章 水木御所成立 天正六年(1578)秋
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いざ立たん 第二話

 ……田畑が増えて、そこへ人が入ったわけではない。奪い取ったところへ人が入った。それではこれまでと違わぬ。為信は事を成した結果に唖然(あぜん)とした。……いや、己の領土になったということに意味がある。これで将来、岩木川の治水を行う際に何も隔たりがなくできる。“防風”と“治水”、自らが掲げる両輪が回り始める。この二つによって田畑は増え、在来の者と他国者の差はなくなり、誰もが安楽に暮らすことができる。





 そのために、心を鬼にする。津軽は一つにまとまらなければならぬ。……亡き御所号の御子を、大浦城下へ移し賜う。そして御子の母親である安東の姫君。彼女が津軽家におりさえすれば、津軽と安東の盟約が絶えることはない。それに我らには浪岡の賊徒を退治したという名分がある。





“殿、兵を大浦城へ引き上げるのでございますか”


“うむ。浪岡はまずもっておさまるだろう”


“では、水木(みずき)館はどうなさりますか”


“……数日待ってみてもいいだろうが、降伏せぬなら難癖付けて大釈迦(だいしゃか)同様にすればよい。……こちらは長らく待ったのだ。これ以上いらぬ”





 旧暦七月八日。津軽為信は数多くの将兵を率いて大浦城へ引き上げた。浪岡には兼平(かねひら)綱則(つなのり)と兵八百を置き、後から大浦城より二百を送り、併せ千兵が防備にあたる。



 御所号の御子は、追って(よし)(まち)()()衛門(えもん)(しろがね)館より移し賜う。彼は……亡き御所号を裏切った張本人である。


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