表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
津軽藩起始 浪岡編 (1577-1578)  作者: かんから
第九章 水谷利実凶死 天正六年(1578)晩夏 旧暦七月六日
89/102

あせり 第三話

 水谷(みずたに)は隣の(あき)(うじ)に話した。私は浪岡に戻ると。それはなりませぬと慌てて顕氏は止めに入るが、水谷は静かに首を振る。



「殿下……。思ってくださること、痛み入ります。しかしあなた様を支えるのは私でなくてもよい。他にも浪岡北畠の者らはこの油川にもおりますし、嫌になったらこの土地を離れてもよい。秋田にも繋がりはあるのですから。」




 顕氏は水谷のこの話にどう応じればいいかわからず、ただただ戸惑うのみ。……すると、いまだ前にて座す顕忠の兵が口を開く。


「……亡き顕範様の御一家であり、特に殿下は赤沼家の血も入っておいでです。南部にとっては謀反人。かわいがられるはずがないですからな。」




 かつて天文八年(1539)、南部(なんぶ)(はる)(まさ)の時代のこと。赤沼(あかぬま)備中(びちゅう)という名の南部家臣が謀反を起こし、当時の三戸(さんのへ)城(=聖寿寺館)を焼いた。その赤沼の妹は、あろうことか北畠顕忠の妻であった。妻といっても当時の年齢は顕忠とその妻共に幼く十くらい、父の(あき)(のり)の進めた政略結婚であった。その二人の間に生まれたのが顕氏、後の北畠きたばたけ顕則あきのりとなる男。


 さらにいうと赤沼の謀反の原因は若気の至り同然なものだったそうで、奥瀬(おくせ)安芸(あき)という同じく二十歳ぐらいの同僚とのふとした喧嘩から、主君をも敵に回す大騒動へ発展した。喧嘩した相手は“奥瀬”。実は油川城主の奥瀬善九郎(おくせぜんくろう)はこの奥瀬と血が繋がっている。……そう考えると、事態はさらに深刻である。


 水谷は顕氏にいう。


「いずれは殿下も油川を離れることを考えた方が身のためです。」



 顕氏は、苦笑することしかできない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ