あせり 第三話
水谷は隣の顕氏に話した。私は浪岡に戻ると。それはなりませぬと慌てて顕氏は止めに入るが、水谷は静かに首を振る。
「殿下……。思ってくださること、痛み入ります。しかしあなた様を支えるのは私でなくてもよい。他にも浪岡北畠の者らはこの油川にもおりますし、嫌になったらこの土地を離れてもよい。秋田にも繋がりはあるのですから。」
顕氏は水谷のこの話にどう応じればいいかわからず、ただただ戸惑うのみ。……すると、いまだ前にて座す顕忠の兵が口を開く。
「……亡き顕範様の御一家であり、特に殿下は赤沼家の血も入っておいでです。南部にとっては謀反人。かわいがられるはずがないですからな。」
かつて天文八年(1539)、南部晴政の時代のこと。赤沼備中という名の南部家臣が謀反を起こし、当時の三戸城(=聖寿寺館)を焼いた。その赤沼の妹は、あろうことか北畠顕忠の妻であった。妻といっても当時の年齢は顕忠とその妻共に幼く十くらい、父の顕範の進めた政略結婚であった。その二人の間に生まれたのが顕氏、後の北畠顕則となる男。
さらにいうと赤沼の謀反の原因は若気の至り同然なものだったそうで、奥瀬安芸という同じく二十歳ぐらいの同僚とのふとした喧嘩から、主君をも敵に回す大騒動へ発展した。喧嘩した相手は“奥瀬”。実は油川城主の奥瀬善九郎はこの奥瀬と血が繋がっている。……そう考えると、事態はさらに深刻である。
水谷は顕氏にいう。
「いずれは殿下も油川を離れることを考えた方が身のためです。」
顕氏は、苦笑することしかできない。