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津軽藩起始 浪岡編 (1577-1578)  作者: かんから
第九章 水谷利実凶死 天正六年(1578)晩夏 旧暦七月六日
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顕範の血 第五話



「話にならぬ。」


 滝本(たきもと)はイラつき、そのまま一室よりでていった。閉めようと(ふすま)()に手を付けたが、勢いよく柱とぶつかり少しだけ開いた状態で止まった。……隙間より外を見ると、さっそく草履をはいた滝本が大股に歩き、城の警護兵を後ずさりさせていた。唾を吐き、門より出ていく。



 奥瀬(おくせ)は“やれやれ”といった感じであるが、旧浪岡北畠の者にとってはこうも対立しているとどうも頼りずらい。(あき)(うじ)水谷(みずたに)は互いの顔を見合わせ、どうすればよいか問おうとするも、答えのなさそうな顔だなと元の方へ向きを戻すのである。


 奥瀬はそんな二人を見て語りだす。



「すまぬの……南部の者同士がこうもいがみ合っていては、さぞ心配であろう。」


 あわてて二人は奥瀬へ頭を下げる。初めに水谷が(こた)える。


「いえ……奥瀬殿のお気遣い、感謝しております。滝本殿には滝本殿の、奥瀬殿には奥瀬殿のやり方があるだけ。重々承知しております。」



 次に顕氏。


「水谷と同じく。ただ……滝本殿の言うように、機を逃したのはなんとも。」




 知らぬうちにケチをつけていた。ただそれは浪岡を思えばこそ。何も奥瀬への反抗ではない。……奥瀬はそうとう器が大きい人物であるので、そのくらいで怒ることはない。



「無論。(そと)(がはま)衆としても浪岡を取り返す手立てを考える。敵方も無法者ばかりの集まりではない。交渉次第ではいくらでもできる。……顕氏殿。御身(おんみ)を大事にされよ。」





 顕氏は頷きこそすれ、言葉では返さなかった。南部家中の弱腰、もちろん奥瀬が軟弱ではないことはわかっているが、今のままでは一向に浪岡を取り戻せないだろう。心の中には、何か別の道があるのではないかと思い始める。


 ……後に彼は浪岡復活を誓い、顕氏の名を顕則(あきのり)と改める。読みはアキノリで、祖父の(あき)(のり)そのもの。漢字こそ違えど、最終的には浪岡の独立独歩を目指す。領土すらないことを考えると顕範以上に現実離れした夢だが、それでも実現すべく動いていくこととなる。

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