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津軽藩起始 浪岡編 (1577-1578)  作者: かんから
第九章 水谷利実凶死 天正六年(1578)晩夏 旧暦七月六日
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顕範の血 第四話


 奥瀬おくせの浪岡へ出兵したがらぬ態度に滝本(たきもと)重行(しげゆき)は激怒した。油川城の二の郭にて、浪岡が落ちたその日からずっと滝本は奥瀬を説得しようと試みたが、彼は首を縦に振ることはなかった。かといって奥瀬にとっても滝本の言っていることは、非常に心へ刺さった。滝本を無理やり浪岡から引きはがした片方の当事者は奥瀬であるし、あのまま滝本が浪岡で目を光らせてさえすれば浪岡御所は今も平和だったかもしれない。



 煙の見えたその日も奥瀬と滝本、さらには油川にて難を逃れてしまった北畠(きたばたけ)(あき)(うじ)水谷(みずたに)(とし)(ざね)で話し合いというか、罵倒の仕合が始まった。主に罵るのは滝本で、うまい具合にかわすのが奥瀬の役目。その様を何もできずにいるのは顕氏と水谷の二人。



「だからいわんこっちゃない。先ほど知らせによこした者によれば、いまだ抵抗しているのは水谷殿の水木みずき館のみ。土岐(とき)殿は馬を走らせ浪岡へ向かったが、あえなく敗北。朝日(あさひ)菊池(きくち)日和見(ひよりみ)相馬(そうま)は姿すら見せておらぬ。こうさせたのはどこの誰か。」



 そういうと滝本は近くにあった腰掛を投げ飛ばした。それは奥瀬の座る横へ抜け、奥の屏風へ直撃。南天を小鳥がかわいらしくついばむ絵であったが、ちょうど真ん中より破れ、半端(はんぱ)に釣り下がって垂れている(いびつ)な状態。



「……ならば滝本殿。あなたこそ向かえばよろしいではないか。土岐殿と一緒でもよろしかったのに。きっと浪岡へ着けば、大層なお出迎えで民百姓は喜ぶでしょうな。」



「うるさい。さっきからねちねちと。俺を(たばか)る気か。」



「謀るもなにも。それにあなたは横内(よこうち)の城兵を我が物となされた。今こそ使うべきではありませぬか。」



 つまり滝本のなぜ外ヶ浜全体で動かなかったのかという怒りを、ではなぜ滝本一人だけでも動こかなかったのかと逆に(たず)ねてらしている。


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