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津軽藩起始 浪岡編 (1577-1578)  作者: かんから
第九章 水谷利実凶死 天正六年(1578)晩夏 旧暦七月六日
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顕範の血 第二話

 以前より私の中には父の(あき)(のり)と同じように、“南部氏には従いたくない”という気持ちがあったのだろうか。それとも今更ながら芽生えてきた感情なのか。……賊の正体が為信の兵だとして、南部へ助けを求める。一生頭が上がらなくなるだろう。あの強勢を誇った名門が、人の助けなしにはやっていけぬ。逆に賊徒が南部の手引きだとしたら……よくよく考えると、ありえないことがわかる。少しだけ時間を費やせば、(そと)(がはま)の軍勢を浪岡へ置くことができたのだから。……いや、実効支配を強めるための策かもしれぬ。ほら、やはり独立独歩では立ち行かぬであろうとでも言いたげに。




 考えても埒が明かぬ……敗軍の将は、兵を語らぬべきだ。黙って胡坐(あぐら)をかき、腰の太刀を鞘から抜く。偶然にも隣にいた者に、介錯を頼む。……当然の如く、兵らは顕忠の暴挙を諌めようとする。だが腹が決まった以上、考えをかえるつもりはない。





 兵らは思った。ここに(つど)いしは源常館(げんじょうかん)に長きに渡り仕えた者ら。故にこの一族の考え方というのは重々承知している。……行動が違えども、内なる原理は全くもって同じ。どんなに説得しても、殿の考えを変えることはできない。






 日は変わり旧暦七月四日の未明。北畠(きたばたけ)(あき)(ただ)は自害した。道行く人々には見えぬようにわざと奥へ奥へと進みゆき、(もと)来た方から音が聞こえなくなった処を見計らい、改めて顕忠はいばらに座す。兵は勢いよく刀を振り下ろして首を切ったという。



 ……皆々涙し、後追いをしようと考えた。だがそれは顕忠より止められていた。息子の(あき)(うじ)を頼むとの一言で、生きる理由が与えられたのだから。……定説によると浪岡御所陥落の同年に“病死”したとなっているが、これこそ疑わしい限りである。


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