顕範の血 第一話
進んだ時を戻し旧暦七月三日夜、あの浪岡御所が落ちた日。
敗軍の将である北畠顕忠はひたすら大豆坂街道を東へ向かっていた。従うのは兵十名ほどで、最初こそ走っていたが、次第に早歩きに、そして疲れはてて道すがらのヒバの林にて足を止めてしまった。……馬など用意できるはずもなく、かえって他の兵らよりも鎧兜が重いのでたいそう疲れはてている。
……林の向こうでは、夜中だというのに人が絶えることはない。決まって右から左、いや西から東へと人は歩む。誰もこちらへ気を留めない。……この道を進めば王余魚沢の砦へ着くし、さらに山を越えさえすれば同じ浪岡北畠家臣の土岐氏の高田館へも行ける。浪岡の民百姓にとっても馴染みは多かろうし、近すぎる大釈迦に比べれば安全な避難先だろう。いくらか考えの深いものが選ぶ答えだろうか。
ならば、私もこのまま逃げて王余魚沢にでも入ろうか……。いやいや、入るつもりで逃げてきたではないか。今更何を言う。だが……心底疲れはてた。……いまだ浪岡がどうなったなどわからぬし、賊徒らあくまで賊を騙った偽の集団に違いない……そう顕忠は確信していた。強く疑わしいのはもちろん津軽為信であるが、南部側が謀った可能性だってある。……真相を知りたいのなら、いま来ているだろう本隊の旗ざしを見れば一目瞭然。……引き返して見に行く気など起きようもないが。
それに浪岡を守りきれなかった責任は、誰かが取らねばならぬ。私がまさしくその任に適する者である。……と思うと、心残りなのは油川にいるであろう息子の顕氏。南部氏からは無碍に扱われることはないだろうが、幾度となく南部に盾突いた顕範の直系。優遇はされまい。苦しい暮らし向きが目に浮かぶ。