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津軽藩起始 浪岡編 (1577-1578)  作者: かんから
第八章 大釈迦館炎上 天正六年(1578)晩夏 旧暦七月五日
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あろうことか 第二話


 森岡と板垣ら併せ五百の兵は同日夕刻に突如として大釈迦(だいしゃか)館を包囲。館主の奥寺(おくでら)氏へ向けて警告文を発した。




“こちらに賊徒らが逃げ込んだと聞いた。賊を守る気ならば即刻討ち果たす”



 最初から喧嘩腰である。交渉する気はさらさらない。石堂(いしどう)も軍勢の中に混じってはいたものの、彼の関わらぬ形で(ふみ)の行き()が始まった。



 館主の奥寺はこの一方的な書状に激怒した。事が起きてしばらく経ち、あらましはすでに明らかだ。おそらくは賊は為信と関わりがある。その後の為信の動きを見れば、大体の推測はつく。なので賊が我らと関わっていることはもちろん、逃げ込んでくるなど全くもってありえない。度を越した”いちゃもん”である。

 南部氏の油川城へ向けてはすでに救援を頼んであったし、とてもじゃないが為信に従う気などさらさらない。




 日は暮れて、(いぬ)の刻(夜八時)。大釈迦の者にも知れている顔が為信方の使者として大釈迦館を訪れた。……奥寺は彼ならばと館の中へ通し入れた。


 かといって、奥寺の怒りはおさまらぬ。石堂が自室の襖を開けた瞬間、いまだ座らぬ(いとま)で強い言葉を投げかける。






「なぜお前は為信に従っているのだ。」



 石堂は戸惑ってしまった。立ったままその場で固まってしまう。奥寺の険しい面構えを見るとなおさらだ。身体がこわばる。石堂は……何も言えぬ。


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