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津軽藩起始 浪岡編 (1577-1578)  作者: かんから
第八章 大釈迦館炎上 天正六年(1578)晩夏 旧暦七月五日
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名分の元に 第三話

 さて、その五十名に石堂頼久(いしどうよりひさ)という武者がいた。生き残った者の中でも格が高く、浪岡北畠においては両管領の多田と水谷の次に偉い。彼も水谷らと共に油川へ行くつもりであったが、急に自分の奥方が亡くなったため浪岡に(とど)まっていた。



 川原(かわはら)の本陣にて石堂は為信に問う。


「御所号は果たして何処(いずこ)へ。」




「いま探させてはいるが……御所の中には見当たらぬそうだ。ならば生きているのではないか。」


 為信は石堂らに対し、いらぬ期待を持たせてしまう。悪意はないのだが、悪い気がしてならない。




「……ほら、山々には逃げ隠れている民が大勢おる。あの中にいるやもしれぬ。明日にはお主らに手引きをしてもらう故、今夜は体を休めて待つが良い。」




 石堂ら浪岡北畠の者は落胆し、かといって為信に問い詰めても何も進まぬ。その中で真相を知っている者も、もしや生き延びているのではと考えてしまう。……己が悪者になりたくないだけだ。


 為信の横に座る沼田祐光。次いで石堂らに語りだす。淡々と落ち着いて、それもさとすように。


(よし)(まち)殿の(しろがね)館には二歳になる御子と母である安東の姫君がいらっしゃいます。……あまりいいたくはありませぬが、もしものことがあっても……御子さえいれば、北畠のお家は成り立ちます。あなた方も懸命に盛り立てていけばよろし。」




 ここで“もしものこと”と言ったが、“もしも”はすでに起きている。……石堂らがかなしく引き下がった後、為信は賊とされた者らから報告を受ける。


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