名分の元に 第二話
津軽為信は浪岡へ着いたのだが、すぐに御所の中へ立ち入ろうとはしなかった。なにしろ御所の中は乱れ切っている様で、死体の山をわざわざ夜に見に行く趣味はない。そういうことは配下の者らに任せ、自分はというと川原の御所跡に本陣を置いた。
……草がぼうぼうと生えてはいたが、死体を片付けるよりかは草を刈る方が早いし楽だ。もともと大きな屋敷があっただけあって土地は平らであるし、何よりもとことん踏み固められているような気がする。かつて南部代官の滝本重行が調練をする場として使っていたせいであろうか。
木柱を何百本と槌(=ハンマー)で立て、それぞれ一定の間隔で打ち据えていく。その柱一本一本に白い布地を纏わせ、薄い壁が何重にも設けられていく。……周りには松明を大いに焚かせ、今や浪岡で一番輝いているのはこの本陣だろう。対して浪岡の町屋はというと、灯り一つもつかぬ。本陣東の四日町、西の横目町共に人ひとり見えず、どこかへ逃げ去った後だろうか、それとも音ひとつ出さぬように気配を消しているだけだろうか。
しばらくして川原の本陣とは御所を挟んで反対側、源常館にいた兵ら五十ほど。為信に面会するために本陣へと参じた。元は館に二百いたのだろうが、別れた者らは“浪岡から戦わずして逃げてった不届き者”。実際は不届きでも何でもないのだが、名分を持った為信の兵らからすれば、そういう解釈になる。残った五十は実際のところ害が及ばぬようにひたすら源常館より出なかっただけなのだが、“浪岡の一拠点を賊徒から守り抜いた名誉ある兵ら”という解釈になる。
解釈とは別に一つ余計なことをいうならば、真相を知っている者もこの中に若干名いる。