名分の元に 第一話
天正六年(1578)、旧暦七月三日夕方。津軽為信率いる千の本隊は浪岡へ入る。
同日朝、巳の刻(午前十時)より少し前に総勢二千の兵が大浦城を出陣。そのうち本隊七百は直進せずに少し北側に逸れて進んだ。板柳を経由し、滝井館に入ったのは真昼の丑の刻。一時間ほど滞在し、在地の者らも合わせ兵数は千に膨れ上がった。そのまま街道を東へ向かい、あの賭け事好き吉町の拠点である銀館へ立ち寄る。ここで秘密裏に吉町が連れ出して保護していた御所号の御子と母である安東氏の姫の安全を確認。申の刻(午後四時)に再び出発し、周りの安全を確認しながら浪岡の目前へ至った。
……道中間際、物見がわざとらしくも物言いに戻ってくる。
“浪岡を荒らした賊徒ら。我らの侵攻に恐れおののき、戦わずして退散いたしました”
為信の隣にて馬に跨る滝井館の守将、これまで焦燥の気を露わにしていたが、その報告を聞いて少しだけ顔を和らげた。為信はというと……なんとも複雑ではあるが、鬼になると決めている。勝つための手段はこれしかなく、時機も今でしかない。
沼田祐光は滝井の守将の顔を見て、一人ほくそ笑む。悪いのはお前らだ。これまでいかに安楽な暮らしを送ってきただろうが、決断を誤った者らに未来はない。……せめてお前と、お前らの兵やその家族は殺されていない。それだけでも救いだろう。浪岡北畠の者らが悲惨な目にあった、もしくはこれからも遭うだろうという中、こうして我らに従ったことで生き残ることができたのだから。
こうして為信の本隊は浪岡に入った。他の隊はまだ到着しておらず、真ん中の羽州街道を進んだ乳井建清の軍勢五百は途中の水木館を包囲中、さらに浅瀬石の千徳政氏の軍勢五百が南方から侵攻。大浦兵との合流に時間がかかったため、少し遅れての浪岡入りとなった。