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津軽藩起始 浪岡編 (1577-1578)  作者: かんから
第七章 津軽為信、浪岡へ入る 天正六年(1578)晩夏 旧暦七月三日夕
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見捨つる 第五話

 御所を守る兵らはすべて絶えた。使用人などは一目散に外へと駆けだしたが、すでに大手門(東門)と搦手門(西門)は封鎖されており、残すは北の口(北門)といった小さな通用口ぐらいしかない。ただしそこにも為信の兵らが待ち受け、次々と殺していく。ただし雪崩を打って人の波が押し寄せるので、すべてを殺し得るわけではない。幾人かは御所の外へ抜け出ることができたらしい。生き残った彼らは急いで御所の東側にある源常館(げんじょうかん)へと伝えに向かうのである。




 そして三十人ほど引きつれて御所へ向かっていた源常館の北畠(きたばたけ)(あき)(ただ)。大手門を突破し東丸(東館)で敵と戦っていたはいいが、予想外に賊の数が多く、そして勢いがあるのを知った。明らかに賊の動きではなく、大将がいる元での集団的行動……そして御所で一番強い者を敵が倒したと叫んでいるのを耳にし、圧倒的な不利を悟った。……味方の兵らも斬られていくし、このままでは自らの命も危うい。敵は何百人いるかわからぬ。……ここは逃げて、形勢を立て直すしかない。しかし辺りは混乱を極め、巳の刻(午前十時)にもなるとさすがに民百姓らへも伝わっており、道中は人であふれていた。源常館は落ちたとの誤報が流され、顕忠らは自分の屋敷に戻ることも叶わなかった。




 ここで遅れて源常館に集まっていた兵ら、二百人ほど。大将である顕忠も戻らず、これからどうするか。内一人が突然立ち上がり、このように(のたま)う。





“賊を平らげるためには、津軽為信に助けを求めるのがよろし”





 まさか……大勢の者が反対した。だが意見をまとめる余裕はなく、しかも決まるのを待たずにその者は使いを大浦城へ向けて送ってしまったので、もうどうしようもならぬ。……南部氏に助けを求めようとする者らは北の大釈迦(だいしゃか)や東の王余魚沢(かれいざわ)高田(たかだ)をめざし、為信へ参じる者は浪岡に残った。


 ……津軽為信の用意は素晴らしいもので、兵を三つに分けてすでに出発していた。途中にはいくつかの砦があったが、もちろん疑い深しということで水木みずき館などは兵の進むのを喰いとめた。ただし為信本隊である七百の兵はというと……板柳いたやなぎ経由で浪岡を目指したのだが、途中に亡き北畠きたばたけ顕範あきのりが築いた滝井たきい館がある。残念なことに……彼らはロクに抵抗せず、さらには浪岡を助けるといって自分らの軍も為信兵に混ざった。この顛末は不甲斐ないことはなはだし。






 こうして一戦もせずに為信本隊は浪岡に入った。名分めいぶんを持った、正義の軍として。



 賊とされたものは、その前に霧散むさんした。

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