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津軽藩起始 浪岡編 (1577-1578)  作者: かんから
第七章 津軽為信、浪岡へ入る 天正六年(1578)晩夏 旧暦七月三日夕
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見捨つる 第三話

 誰かが斬り殺されれば、それでよかった。





 不埒者に扮する為信の兵ら三百。彼らを率いるのは為信家臣の小笠原信浄(おがさわらのぶきよ)である。元は他国者であったので、ヤマノシタら他国者も混ざる野郎どもと息が合った。互いに知っている仲であるし、かつての万次党(まんじとう)以来である。


 普段は口を開かぬ性質(たち)であったが、兵を率いるのは随一である。当時の津軽家の二柱にはしらといえばこの小笠原と乳井(にゅうい)(たて)(きよ)である。後になって兼平(かねひら)綱則(つなのり)(もり)(おか)信元(のぶもと)が上がってきて乳井が亡くなり、三家老と呼ばれることになるのは別の話。





 小笠原は恐ろしくも太く低い声でどなった。



「御所の外で仲間が切り殺されたと聞いた。お前らは約束と(たが)えたので、これより誅殺する。」





 補佐(ほさ)(たけ)(とき)ら御所の兵すべてにこの声が届いた。広い館ではあったが、小笠原の声はしっかりと鮮明に聞こえたことだろう。もしや御所号を殺すのではないかと誰もが思ったが……斬られるのは自分らの方だった。


 突然豹変した者らに()られる。もちろんあの滝本(たきもと)重行(しげゆき)の訓練も積んだ御所の兵であるし、元からも屈強な者らが揃っている。戦おうとすれば戦えるはずだ。しかし戦ってしまうと、こんどは御所号である北畠(きたばたけ)(あき)(むら)の命が危ぶまれる。その迷いの中、戦わなくてはならない。……この混乱であるので、源常館(げんじょうかん)北畠(きたばたけ)(あき)(ただ)の決断はいまだ御所の兵らに伝わっていない。





 抵抗すれば御所号が斬られ、抵抗しなければ己が斬られる。




 さらには予想外に多そうな“兵数”。そう、これは不埒者もしくは賊徒の集まりでない。気付いた時にはもう遅い。


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