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津軽藩起始 浪岡編 (1577-1578)  作者: かんから
第七章 津軽為信、浪岡へ入る 天正六年(1578)晩夏 旧暦七月三日夕
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見捨つる 第一話


 野郎どもと為信の兵らが押し入ったのは朝方の()の刻で午前六時ぐらい。それから本丸(内舘)へ進んだのは一時間後ほど。さらに三十分ほどたち源常館げんじょうかん北畠(きたばたけ)(あき)(ただ)へ事態が伝わる。



 顕忠は仰天(ぎょうてん)した。まさか賊徒が御所に押し入るなど……聞いたことがない。これは何かの間違いかとも思ったが……話を聞く限り本当だ。後から伝えられてくる(すじ)も同じである。


 なぜ討ち果たさぬかと問うと、伝令はこう答えた。

「賊徒は御所号を盾に押し入っております。刃向えば死をもたらすと。」



 最初に驚きが来る、次に補佐ほさらの行動への理解、……そして最後には御所号への(あき)れ。


 あれほど私の父が御所号を教え導いたのに、治る見込みはなし。どうしろというのか。おそらく仲の良い賭け場の野郎どもに呼び出されて捕まったのが落ちだろう。……自分の御身をなんだと考えておる。様々なものが噴き出てくる。もちろん我らは浪岡北畠の忠臣。助けに行かねばなるまい。



 だが……悪い考えがよぎる。






 “今……事を治めたとしても、また繰り返すのではないか。元をただせば、私の父が亡くなったのは御所号のせいではないか……”






 いや、だめだだめだ。そのように思っては。しかし……存外に名案では。焦り、事に追い立てられると、普段とは異にすることを思いついてしまう。今それが顕忠に来た。彼はこれまで父の(あき)(のり)が悩み苦しんだ姿を近くで見ている。苦労する様を見て、やるせなさを十分に感じた。それでも浪岡を思うがこそ、御所号に尽くそうがこそだ。それを無碍むげにする……。



 ……御所号さえいなければ、今の浪岡よりは確実にいいものになっていたはずだ。





 それに幼少ではあるが御子(みこ)はおろうし、北畠の血であれば私もしかり、隠されてはいるが水谷(みずたに)殿の養子もしかり。この際、すっきりさせようではないか。


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