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津軽藩起始 浪岡編 (1577-1578)  作者: かんから
第七章 津軽為信、浪岡へ入る 天正六年(1578)晩夏 旧暦七月三日夕
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卑怯 第四話


 他国者ほど卑怯な人種はいない。訳あって違う土地に流れ着いたのであろうが、それだけ及びもつかぬ苦労をしている。騙し騙されているうちに否応なく知恵がつく。生き残るためにはなんだってしてきた。(めん)(しょう)(さい)こと沼田(ぬまた)祐光(すけみつ)はそれを極めた人物ともいえる。津軽為信の家来となって忠義を尽くす(かたわ)ら、己を含む他国者の勢力拡大を目指す。




 以前より為信は掲げていた。


“防風と治水がなれば田畑は増え、すべての者は豊かになる。そうすれば在地の者と他国者に差はなくなり、争いや苦しみもなく平和に暮らせる……”





 治水のためには(いわ)()(がわ)水系の一元管理が必要。川沿いに位置する諸勢力が一つの意志を持って動く必要があり、そのための“津軽統一”である。


 沼田はこの為信の意に賛同した。だからこそ為信の誘いを断った浪岡は悪であり、容赦なく取り潰す対象であった。経緯こそあれ、沼田の策に情けはない。




 浪岡は滅びる。くだった者は許すが、従わぬ者らは死を、逃げた者は路頭に迷えばよい。かつての私と同じように……沼田はこのように考えたのかもしれない。





 彼の策通り、事は進む。搦手(からめて)門(西門)より入ったヤマノシタら野郎どもと、同じような恰好(かっこう)に扮した為信の兵三百。北畠(きたばたけ)(あき)(むら)の身柄を盾に堂々と城門を押し通る。まず検校(けんぎょう)館を固め、無血のうちに占拠。中の者らは恐れおののき、武具の備えもロクにないので震えることしかできない。ひとまずそこへは三十人ほど残し、他の者らは堀に架かる木橋を渡り、続いて西丸(西館)そして本丸(内館)を目指した。


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