真相 第一話
月は傾き、夜は終わろうとしている。すでに北畠顕村は吉町に連れられこの場を去り、賭け場の野郎どもはたむろするのみ。ヤマノシタを中心に、蒔苗などの仲間たちが他愛もないことを口走り談笑していた。……賭け事には飽き、ただただ床にくつろぐ者もいる。
その賭け場は山肌の林に隠れて立つわけではなく、かといって川辺の浮浪者の小屋にあるわけでもない。……ここは民衆の多く暮らす四日町のど真ん中。新造の商家である。商家の名は長谷川といい、屋敷の主は長谷川三郎兵衛。代々長谷川の家では当主を理右衛門、若い旦那を三郎兵衛と呼ぶ習わしがあり、拠点を港町の鰺ヶ沢において商いをしていた。
……すなわち、津軽大浦領の商人である。ならばなぜ敵方の浪岡に商店を構えることができたのか。建前として親子で争った体にして、子の三郎兵衛が独立して配下の者と共に浪岡へ越してきた。浪岡ひいては油川大浜へと進出を図っている。
ところで鰺ヶ沢とその周辺は浮浪人不埒者が多い。港町なので特に他国者の流入が激しい土地柄であったが、為信は彼らとつながることで勢力を拡大しいえた。何を隠そう為信の家臣にも他国者が多く存在する。軍師の沼田祐光や家老の小笠原信浄がその代表格だったが、やはり家中に根付くまで旧来からの家臣の抵抗に遭い難儀した。その過程は前作の“津軽藩以前”に譲りたいと思う。
商家長谷川も他国者と積極的に繋がることにより勢力を拡大。為信と一悶着あった時もありつつ、今は為信に協力する姿勢を取る。三郎兵衛は浪岡を中心として商いをし、一方で鰺ヶ沢の他国者を密かに引き入れた。複数いるリーダー格の一人として“ヤマノシタ”がおり、その集団を昔の名残で“万次党”と呼ぶ者もいた。ヤマノシタは為信の意を受け、浪岡の不埒者を取り込み、策を成そうとしていた。