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津軽藩起始 浪岡編 (1577-1578)  作者: かんから
第五章 北畠顕範暗殺 天正六年(1578)夏
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真相 第一話


 月は傾き、夜は終わろうとしている。すでに北畠(きたばたけ)(あき)(むら)(よし)(まち)に連れられこの場を去り、賭け場の野郎どもはたむろするのみ。ヤマノシタを中心に、(まか)(なえ)などの仲間たちが他愛もないことを口走り談笑していた。……賭け事には飽き、ただただ床にくつろぐ者もいる。


 その賭け場は山肌の林に隠れて立つわけではなく、かといって川辺の浮浪者の小屋にあるわけでもない。……ここは民衆の多く暮らす四日町(ようかまち)のど真ん中。新造の商家である。商家の名は長谷川といい、屋敷の主は長谷川(はせがわ)三郎(さぶろう)兵衛(ひょうえ)。代々長谷川の家では当主を理右衛門(りえもん)、若い旦那を三郎兵衛と呼ぶ習わしがあり、拠点を港町の(あじが)(さわ)において商いをしていた。



 ……すなわち、津軽大浦領の商人である。ならばなぜ敵方の浪岡に商店を構えることができたのか。建前として親子で争った体にして、子の三郎兵衛が独立して配下の者と共に浪岡へ越してきた。浪岡ひいては油川大浜へと進出を図っている。


 ところで鰺ヶ沢とその周辺は浮浪人不埒者が多い。港町なので特に他国者の流入が激しい土地柄であったが、為信は彼らとつながることで勢力を拡大しいえた。何を隠そう為信の家臣にも他国者が多く存在する。軍師の沼田(ぬまた)祐光(すけみつ)や家老の小笠原信浄(おがさわらのぶきよ)がその代表格だったが、やはり家中に根付くまで旧来からの家臣の抵抗に遭い難儀した。その過程は前作の“津軽藩以前”に譲りたいと思う。


 商家長谷川も他国者と積極的に繋がることにより勢力を拡大。為信と一悶着あった時もありつつ、今は為信に協力する姿勢を取る。三郎兵衛は浪岡を中心として商いをし、一方で鰺ヶ沢の他国者を密かに引き入れた。複数いるリーダー格の一人として“ヤマノシタ”がおり、その集団を昔の名残で“万次党(まんじとう)”と呼ぶ者もいた。ヤマノシタは為信の意を受け、浪岡の不埒者を取り込み、策を成そうとしていた。


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