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津軽藩起始 浪岡編 (1577-1578)  作者: かんから
第四章 北畠顕村、策に嵌る 天正五年(1577)夏
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謀の道 第二話

 浪岡北畠氏はこのようにして為信への対抗策を講じていた。だが浪岡より遠方に領地がある者、例えば両管領の一人である多田氏は浪岡への出仕を止めた。自領で引きこもり、成り行きを静観する態度をみせる。尾崎氏など為信を推す勢力も一定数おり、かといって南部に従った浪岡へ歯向かう訳でもなく、同じく静観の意を示した。

 ただし浪岡は内部分裂をしているものの、両管領のもう一人の水谷氏、他の諸氏は健在なので、為信が真正面から攻めたところでどうなるかわからない。


 一方で南部代官の滝本(たきもと)重行(しげゆき)。浪岡にて軍事調練をしつつ、自らの足元も固ようと策動した。目を付けたのは浪岡の裏側、そと(がはま)横内(よこうち)城である。為信が決起して大光寺城を落としたことをきっかけとして、横内城主の一族は南部(なんぶ)(のぶ)(なお)の命により誅殺された。先代の大浦(おおうら)為則(ためのり)の娘、(せん)桃院(とういん)(戌姫)の妹が横内のつつみ氏へ嫁いでおり、血縁関係より謀反を疑われたためだ。その空き城は油川(あぶらかわ)城主の奥瀬(おくせ)氏が管理しているが、滝本は奥瀬に対し城を譲れと迫った。まさかの申し出に奥瀬は戸惑ったし、何も滝本へ城を明け渡すいわれはない。


 これに対し滝本は主君南部信直の命であると偽り、その上であたかも正論のように故を振りかざす。

“私が保護している(だい)(こう)()(みつ)(ちか)の遺子、いまだ持ち城はなく、南部の忠臣の子がこのようなことではおかしい。それに元をただせば大光寺氏は横内を拠点とした(つつみ)氏の分家。一族が故郷へ戻るだけなのだから、元の持ち主へすだけであろう”


 加えて滝本は為信へ対抗するため自前の兵も持つ必要があると説き、無理やり横内城を自分の物とした。ただしこの出来事は、あることをきっかけとして新たなる波乱を引き起こすのだが、次編に譲りたいと思う。


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