老獪 第五話
「兼平様。もう出立なさるおつもりで。」
息を切らしながら、若い侍……といっても、兼平自身も若い侍なのだろうが、同じ歳ぐらいである。いやあるいは自分よりも若いかもしれない。
「もうわかっている。……貸してくださるのなら、馬はあるか。」
……おそらくこの者は味方だ。その若い侍は急いで馬を捜してくるので裏門で待つように話した。
……雨はさらに激しさを増す。光など見えぬほどに。兼平は空を見上げた。星など見えるはずはなく、あるのはどす黒くて厚い雲だけだ。笠をもたぬ兼平の顔に容赦なく降り注ぐ。
……若い侍は家来の者と共に三頭の馬を連れて兼平らの元へ参じた。
「申し遅れました。私は多田の息子で玄蕃と申します。」
「ほう。私よりも若そうな子が多田殿にあったのか。」
「遅くに出来ましたゆえ。」
ささやかだが、笑顔が生まれた。そのにんまりとした顔のまま、兼平はその大きな馬にまたがった。……最後に振り向いて、一つだけ問う。
「それでは玄蕃殿。水谷の息子とも親しいだろうが……知っているのか。」
玄蕃にとって水谷の養子、水谷利顕は親友ともいうべき存在。だがこの時、玄蕃は利顕がその実、川原御所の忘れ形見だということを聞かされていない。さらにいうなれば、利顕自身もそのことを知らない。兼平は答えがないことがわかるなり、手綱を馬の脇腹へ大きくたたく。玄蕃とその家来は、全速力で街道に向かって駆けて行った兼平達を見送るしかできなかった。