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津軽藩起始 浪岡編 (1577-1578)  作者: かんから
第三章 兼平綱則、浪岡を退く 天正五年(1577)梅雨入
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向かう先 第一話

 浪岡御所の本殿。少し高い向こうの檀。一番奥には屏風があり、水辺の葦に小鳥が一羽とまる。いままさに羽ばたこうか羽ばたかまいか迷っているようにも思える。お天道様は視界に入っているので暗いわけではないが、薄い霧が辺り一面にかかっている。



 鳶の類に狙われたりしないだろうか。そうでなくても餌を見つけることができず無駄足、いや無駄羽というべきか。わざわざ危険を冒してまで飛び立つ必要はない……。

 ただし動かないままでは格好の餌食になりえるし、餌だって得ることはできない。



 上座に胡坐するは北畠(きたばたけ)(あき)(むら)、御年二十二歳の若者である。御所として浪岡にて座しているが、特に苦労してきたわけではない。小さいころに起きた内乱“川原御所かわはらごしょの乱”では己の命も危機に陥ったらしいが、今となっては記憶にない。長老の北畠(きたばたけ)(あき)(のり)の意向で妻を安東より迎えており、もちろん御所であるのでどこともなく正室を迎えるのは当たり前であるが、顕村はこの意味を深く考えたこともない。



 一方で長老の(あき)(のり)は内乱以前より言葉こそ出さないが、浪岡が独り立ちすることを夢見ていた。だが当時の浪岡にはそのような力はないし、南部氏の操り人形にすぎない。将来の布石として南部に対抗できうる勢力……安東の嫁を御所に迎えることにより、力学を持って浪岡の立場を強くしようとした。当然南部氏からは“なぜ敵方と結ぼうとする”と猛反発を喰らったが、南部氏の官位受諾を朝廷に求めることと引き換えに強行突破した。加えて上洛の際に“安東との婚儀は喜ばしこと”と摂関家からお墨付きもいただいた。……故に顕範はいまだ南部から睨まれている。




 ただし、御所の顕村はそのような苦労を一切知らない。


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