第八話 一つしかいらない
執務デスクに座り、千鳥は部屋を見渡した。夜明けの気配はするが、未だ暗く沈んだ室内を改めて見ると違和と懐かしさが同時にこみあげてきた。
一か月前、十一月一日の夜に千鳥の生活は一変した。閏木を祀るうえで最も重要な「朔の儀」を失敗した。前代未聞の出来事に乗じて千鳥と継己は家を飛び出した。
八条家が支配者として君臨するこの町で、神官としての役割は儀仗家が委任されていた。閏木をかなめに成り立つ八条家一族の中で儀仗が担う役割は大きい。だからこそ儀仗家には分家としてきつく制限が設けられていた。子供の数は最低限に設定され、遠出はほぼできず、本家からの監視が明に暗に絡みついた。女官として当主を継ぐ娘、つまり千鳥が生まれると兄は町の外、父方の親せきの家へと追いやられた。分家の中での地位は別格とでもいうほど高かったが、もちろん良いようには思われておらず、儀仗家の秘匿している儀式の手順を探ろうと腹を探られる始末。そのくせ八条家に不満があれば団結して儀仗を担ぎ上げる。
それでうんざりするなというのが無理である。思春期に千鳥が武術に打ち込んだのはその当てつけでもあった。
家から離れられるというだけでもそれこそ羽を伸ばせられる思いだったが、朔の儀式が失敗したことが千鳥にとってどれほど救いとなったのかわからない。
朔の儀式は閏木の種子を植える儀式である。五十から七十年の間隔で閏木は枯れ、実が残る。昔はもっと間隔が狭かったそうだが、ここ二百年はそのペースで落ち着いている。閏木は木を依り代にしているだけで実体はない。人が衣を変えるように閏木もまた入れ物を変える。その際に必要になるのが「厄」だ。
具体的に言えば厄を集めた生贄を閏木は求める。その生贄こそが継己だった。生贄となることが決まってからの数年、千鳥はろくに顔を合わせることもできなかった。時代錯誤に手紙をやり取りし、儀式当日に再会することとなった。当日まで何度も決意が揺らぎかけた。儀仗家当主は千鳥ではなくまだ母の紫千代であったが、千鳥には普段の不真面目なイメージを払拭せんとする親心のせいでほとんどの術式を任された。来る日も来る日も継己を捧げるための術式を書いて、幾度手を止めたか。誰にも知られずにでたらめな文字列を忍び込ませれば、継己は生贄にならずに済むのだ。生贄と言えど死ぬわけでは無い。生贄の負担を減らすための術式でもある。だが、あらゆる厄を押し付けられ、閏木に吸い取られれば残るのは搾りかす。継己であって継己でないなにかが残るだけである。
儀式は本家当主と限られた分家の当主だけが立ち会うことになっていた。千鳥は部屋の前で控えていた。これが終われば、自分は死を自らに課すかもしれない。何もかもから現実感が遠のいていった。
思考がぐるぐると回り始め、瞬きをしたと思ったらいつのまにか千鳥は床に横たわっていた。
その千鳥を揺り起こしたのは水干、単衣、紅の長袴姿の継己だった。すらりとした体躯にその衣装はこの上なく似合っており、鶴を思わせた。おしろいをつけ紅を引くと男女関係なく人を惹きつけるまばゆい美しさがある。千鳥は、はじめそれが継己だとわからなかった。ただただ見とれる千鳥に、継己は笑顔――初めて会ったときのあの――を浮かべた。
『ちどり、僕と一緒に来てくれる?』
ちどり、とどこか間の抜けた発音をして、継己は手を差し伸べた。
その手を取ることにためらいなどなかった。