第七話 弁解と黙秘
思わず不機嫌な声がでたが、鈍感な赤原が気づくわけもなく媚びるように言葉を続ける。
「あのさ、契約はしちゃったけど、一体あんたら何なわけ」
赤原と契約を結んだのはおよそ二週間前のことである。会社を首にされ、僅かばかりの貯金も付き、一人で社会への恨みを果たそうとしていた赤原の前に千鳥たちが現れた。内容は一つに赤原の反社会的な行動を支援するというもの。一つに、殺人に限っては対象を協議し、千鳥たちからの対象の提案にも応じるというもの。一つに、最低限の生活の面倒を千鳥たちが見るということ。そして、一つに、今契約から四か月後の三月なったらこれらの見返りとして、赤原の命をもらうということ。その見返りというものを聞いた時には赤原は大笑いしたものだった。悪魔の契約ではあるまいし、命とは馬鹿馬鹿しくて現実味のない対価だった。赤原としては、自分の命に何の価値があるのか見当がつかない上、三月になったら姿をくらましてしまえばいいことと二つ返事で契約を結んでしまっていた。
「では改めて、お話いたします」
契約を続ける気があるならと雇用者モードに戻って千鳥が重い口を開く。初めての戦闘からの疲労がじわじわと堪えてきていた。お話ししたはずですが、などと無駄に皮肉を挟む気力もない。
「私たちは八条家のものです。継己は八条家本家の……」
「ああ、ああ。そこは分かってる。この余日町きってのお家柄の八条家のご子息様だろ? いや、ご令嬢だったか? で、あんたはその分家の娘さんなんだってな。俺はそんな恵まれたお家柄のあんたらが何で魔術だのなんだの大真面目に言ってるのかって聞いてんだよ。なんでわかんないかな」
わざわざ答えてやっているのに下手に出ることもできないのか、この無学が。
千鳥の口元が引きつる。やはり、厄病神のようなこの男と仕事するべきではなかったか。千鳥は労働経験も零だった。家の手伝いで目上の人物と関わることも多々あったが、しょせん千鳥もお嬢様扱いをされていたと見え、無礼な大人など目の当たりにしたことがなかった。
「申し訳ありません。そうですね、八条家には表と裏の顔があるということからお話いたしましょうか。赤原様もご存知の通り、町会議員や町、ともすれば市の重要産業の重鎮を占めるという一面が良く知られていると思います。一方で、この街の唯一の神社、閏木神社の神主の家系であるということはあまり知られていません」
もともとは八条家の役割は町の神主だった。しかし、その他の地方の寺社仏閣がその力を信仰の薄れとともに失っていく中、排他的なこの町の神木は今に至っても力を有していた。その加護によって、この町は戦で焼かれることもなく、八条家の繁栄を大いに助けた。
「いや、俺は閏木なんて知らないぞ。そんな神社参拝したこともない」
話の腰を折らなければ死んでしまうというように、赤原が素早く口を開く。会社でも四六時中この感じだったなら、案外リストラは妥当な判断だったに違いないと感じてしまう。苛立ちを飲み込んで千鳥は続ける。先ほどは殺すなどと軽々しく口にしたが、赤原がこの契約から降りて困るのは千鳥なのだった。
「失礼いたしました。訂正いたします。この際、重要なのは信仰の数ではなく、質と言えましょうか。八条家は閏木の祀り方を秘して決して変質・漏洩することのないように努めました。そして魔術によるアプローチから更なる閏木の研究、理解を進めました。また、数は少ないとはいえ八条関係者の信仰は絶対で、大衆の移ろいやすく時流に流される脆い信仰とは無縁だったことも閏木信仰が長命であった原因と言えるでしょう。こんなところで、八条家と魔術の関係はお分かりいただけたでしょうか」
「ふうん」
説明はこれでまだ半分だというのに、無精ひげの中年は話に興味をなくしたようだった。
「お疲れのようですから、また次の機会に続きをお話ししましょうか?」
黙れ、さっさと寝ろ、をこれ以上なく丁寧に告げることに成功する。赤原はその言葉につられるように大あくびをし、うなずいて同意をする。
「そうだな。今日もこのしけたソファで我慢して寝るか」
自分は一歩も動かずに年下の千鳥にブランケットを持ってこさせ、赤原は芋虫のようにそれにくるまった。
「あ、そうだ」
一息つく暇もなく、赤原は寝返りを打って奥のデスクに向かおうとした千鳥に声をかけてくる。
「千鳥ちゃんさー、継己とどんな関係なの? あんなに血相変えて心配しちゃって。恋人なの? どこまでしたわけ?」
虫唾が走った。つかつかとソファの横まで歩き、赤原を見下ろす。知性のかけらも感じさせない笑みで赤原はそれを面白そうに眺める。
「継己ってなよなよしてるけど男なんだろ? ふうん、そういうのが好きなの?」
「黙れ、さっさと寝ろ」
応接机の灰皿を赤原の脳天へと振り下ろした。幸い、灰皿は掃除したばかりだったのでゴミが散らばることは無い。応接用に一応そろえておいて良かった、と静かになった赤原を見て十八才の乙女は思うのだった。みねうちなので問題はない。気分的にみねうちだった。