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第二十四話 家畜のルール

 余日市の郊外で起こった「落雷」はその日のうちに学生たちのうちで話題になった。その落雷は音もなく、ニュースにもならず、大人たちは気のせいで済ませた。しかし、噂好きの誰かが落雷のあと急行したパトカー数台をそれと紐づけ、面白おかしく喧伝した。

 休み時間の教室にて、ネットから仕入れたネタにいつもに増して女子生徒たちが騒ぎあった。窓の外の光を見たという男子生徒も輪に含めて、ますます語りに熱が入る。市に一つきりの公立高校、その日常風景。

 教室の一番前、廊下側の席に背中まで黒髪を垂らした異様な美しさの男子生徒がいた。髪の毛と学ランと透き通るような白い手足が眩しいまでのコントラストだった。その男子生徒、交喙は本を閉じ、騒ぐ有象無象を一睨みすると、気づいた者たちは声を潜めた。だが、少しするとまた音量は元に戻る。

「ヒナ、いるか?」

「へい! いますよっと。焼きそばパンですか」

 廊下に面した窓から女子生徒が顔を出した。肩にそろえたおかっぱ髪は脱色され、左側で一房だけくくられている。平均的な公立高校である以上、校則違反であろう。

「馬鹿なことをいうんじゃない。郊外で発生した光の調査をしろ」

 ヒナは直立不動、最敬礼で応える。

「わかった! なるほど交喙にそんな趣味があるとは。それではメロンパンを買ってくる」

 猛烈な勢いで走りだした。スカートが翻っているが、スパッツをはいているので構わないのだろう。教室の騒ぎが少し小さくなる。こっそりとうかがい見ていた交喙とヒナの奇行にあっけにとられているのだろう。交喙ですら意味が不明だ。ヒナの言うことはふざけているが、ヒナにふざけているつもりはないのだから。ヒナではなくヒヨドリを呼びたかったが、ヒナの弟のヒヨドリも性格に難があることには変わりない。

『校内放送です。リンゴンリンゴン。光の柱を見た生徒はすぐに放送室に来てください。来ないと内申書に響きます。さあ、この放送を五人に伝言しないと身内に不幸があるからね!』

 まだふざけている自覚があるならば抑制もきくだろうか。校内放送を聞いた教師たちが、そろって廊下をかけていく。ひと悶着起こりそうだ。効率も悪いし、騒ぎになる方法をとるとは。まあいい。

 この学校は掌握済みだ。交喙の名前を出せば、教師たちも止めることはできない。ヒナの放送くらいで悪くなる立場も体面もない。

「さて、行くか」

 学生鞄も、教師への届け出も不要だ。学生ごっこをやるよりも重要なことがある。閏木をとりまく事象を解決しなくては身の安全も保障されない。閏木はこの土地の守護者。そして八条にまつわる血族全ての生殺与奪の権を持つ神。神に反して未だ生きている者がいるのならどこかにエラーがある。そのエラーを探す者が必要だ。

「一に、我は主の奴隷であり主の恩恵にて生き永らえる者。その御陰にて休ろうことを許したまえ」

 姿を結界で消す。校庭に出、手を差し出す。

「一に、我は豪勇を誇る武者。この(かいな)は悪鬼を屠るため、神助のもと安寧ため戦うことを誓おう」

 招聘(しょうへい)するのは八条御三家に伝わる聖なる魔法具、『交喙の(はし)』と呼ばれる薙刀だ。十二雀筆頭にのみ所持が許された、外敵を討つために閏木が加護を与えた奇跡の武具。

 掌の上で火花が散り、光り輝く薙刀が姿を現す。交喙の身長を優に越す大薙刀だが、交喙は軽々と肩に担ぐ。

「ふん、妨害はないな。魔力充填、確認。飛行式、発動完了」

 重力を無効化し、上昇してから一息に加速する。目指すのは光の柱が発生したとされる東南地区の郊外だ。

 光の柱は交喙の魔力探知にも引っかかっていた。無視したのはその内訳がはっきりしていたため。継己と大路家。その抗争ならばまだ出る段ではない。大路は八条の自浄機関。自浄作用に消える異常ならばこれはそれまで。一連の騒ぎは閏木の戯れか八条に対する何らかの罰と判断できる。政変のような争いは先例があり、御三家はそのたびに勢力図を微妙に変えてきた。閏木を独占しないため、組織の腐敗を正すために。ここで先走って十二雀まで出してしまうと、思わぬ損害を出しかねない。対外機関の十二雀は本来内部に干渉してはいけない。内部での殺し合いはすなわちただの自損行為となりえるからだ。交喙たちは閏木の細胞の一つ一つにあたる存在であり、誰かが死ねばそれだけ閏木の血が途絶える。閏木を傷つけてはいけない。

 今、交喙が出る理由は現状を維持するためだ。依然行方知れずだった八条八色(やしき)が動いた。継己の叔父。場合によっては『継己』候補にもなり得た、八条でも高位の男。差し当たって重要なのは、この男が朔の儀の妨害を企てた首謀者である可能性が高いということだ。

「……いた」

 コンクリートの建物の前、駐車場のようなスペースにしゃがみこんでいる男がいた。中折れ帽を目深に被った男はこちらに見向きもしない。気配を結界で絶った交喙に気が付かないのではない。八色は交喙を全く相手にしていないのだった。いいだろう、その油断こそ都合がいい。

「八条八色、貴様を捕縛させてもらうっ!」

 薙刀を構えてその背に突貫する。即死さえしなければいくらでも治せる、問題ではない。有無を言わせぬ速度で刺し止める。

「ははは、交喙くんはせっかちだなあ」

 背から下腹部を貫かれたまま、八色が人の善い笑いで振り返る。その顔が風船のように膨れる。舌打ち、交喙は薙刀を引き抜こうとするが八色が破裂するほうが速かった。インクのような黒い液体を体に受けのけぞる。液体は空気に触れ急激に粘性を増し、交喙の服にへばりつく。繊維の焦げる匂いが不快だ。

「くそ、熱……」

 液体が強い酸性を持つのか皮膚が灼ける激痛が襲う。目は庇ったが、両手にもろに液体がかかった。すぐには思うように動かせないだろう。

「すまないね。君と戦いたくないんだよ。親族をこんな目に遭わせたくはないんだが、本当にごめんよ」

 陽炎のように影が揺らめき、物陰から本物の八色が姿を現す。交喙の目の前に立つ。

「世迷言はやめてくださいよ……。貴方がしているのは背信行為であり、 我々になんら利益をもたらさない」

「君の意見は矛盾していると思うよ。それなら千鳥ちゃんも、継己も捕らえるべきだよね」

「八条八色が外部魔術を取り入れていることは調べがついています。 貴様は危険すぎる。閏木に綻びくらいは引き起こすかもしれない」

 八色は顎に手をやり、空を見上げる。形の良い眉に、高い鼻梁。五十路前と思えない容姿であった。白い肌を這うように広がる赤紫色の痣が眩暈を起こしそうなほどに鮮やかだった。左頬から首筋、服の下まで伸びる痣が、八色のとびぬけた美貌をさらに非現実じみたものにしていた。

「交喙くんは、自分こそが正しいと思っているのかな。頭の良いものはそんな幻想を抱きがちだが……。ははは、滑稽だね」

 八色のすぐ隣にもう一本(・・・・)の交喙の嘴が突き刺さる。いや、これは意図的にここに落とされたのだ。

「んー、おじさんだけど僕も十二雀に入れるかな?」

 空にはいびつな白い球体が五体ほど浮かんでいた。刃のような二枚の突起を羽と見るなら、その白い塊を鳥の具象と言うことができるかもしれない。交喙の突貫と同時に、交喙は二本目の嘴を展開し、遠隔操作による波状攻撃を仕掛けた。それから一六七回ほど八色の使い魔と切り結んだが、二体を無力化したところで撃ち落とされた。

「ありえない。この町で閏木に仇なす者が僕に勝てるはずがっ……」

 敗北を認識できなかった。交喙に勝てるものなど、いるはずがない。それこそ八条当主にも匹敵する武力を有するのが水上交喙なのだ。だって閏木がそう決めたのだから。

「うん、閏木はもう番人を必要としないのさ。さて……っと」

 突き立った薙刀を引き抜いて、八色がよろける。照れ笑いを浮かべながら、魔力操作に切り替えて長大な薙刀を振りかぶる。

「ぐぅう……っ」

 薙刀は交喙の右足首を切断した。倒れこみ、交喙はのたうちまわりながら八色を凄惨な表情でにらむ。

「まだ君の出番じゃないから、ゆっくり休んでるといいよ。大丈夫、つまはじきになんてしないからさ」

 悠々と八色は立ち去る。その後ろ姿が揺らぎ、風の中に掻き消える。コンクリートの上には、影すら残らなかった。

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