第十五話 精神は肉体を器とする
紫千代の式をソファの隙間に挟まっていたライターで燃やした。ライターは赤原のものでポケットから零れ落ちたのも気づかずに放置していたらしい。勝手に使ってもわからないだろう。灰皿に残った燃えかすを一応崩した。千鳥と紫千代の関わりは「無かった」ほうがいいと考えたからだ。これから事態はどう動くのか、閏木にどこまで自分たちの反抗が通用するのか。
千鳥はライターを弄びながら、継己を待った。
潰れたパチンコ店の裏で男のうめき声と、それに続いてどさりと鈍い音がした。
警官服や私服に身を包んだ大路家のもの四、五人を地面に沈めて余一はやれやれと手の汚れを払った。魔術により、服装こそ変わらないが、可愛らしいOL風の姿である。継己は止めたが、どうしてもと頼み込んで、身長まで縮めている。継己は千鳥からの電話が切れたところだった。継己は高校の制服姿、小柄なほかは何の特徴もない男子生徒の姿である。あまり馴染みのない格好では落ち着かず、平日の昼間だがこの服装を選んでいた。
「やっぱりなんか駄目だね」
率直な感想を継己がこぼした。二人は大路の邸宅とその周辺を探っていたのだが、これで襲われるのは二回目。邸宅近くには明らかにその筋のものが立っており、どんな結界を有しているのか、侵入経路、警備の人数は分からずじまいだった。予定を変更して早めに帰ろうにも尾行がいまいちまけず、あちこちを歩き回っている。
「俺らの変装がバレてるかもってこと? 顔は何度も変えてるし、それはないんじゃない?」
「黒コートの女の人なんて目立つよ」
余一が頬を膨らます。美人がそれをすれば言うことなく可愛らしい。だが、あまりにも表情がいつもの余一過ぎる。女性らしくふるまうことはできているのに、いつもの余一が透けて見えるようで呆れてため息が出てくる。こんなやりとりが今日は繰り返されてばかりだった。継己も制服のために強くは言えない。
「まあ、いいさー。で、やっぱりこいつらも下っ端なわけ?」
「そうみたいだよ。警察手帳、警棒、本当にただの警官って感じしかしない」
ご丁寧に職務質問もしてきたくらいなので、大路の密命を受けているわけでは無い。無線で応援を呼ぼうとしていたので気絶させたが、恐らく定時連絡を抜かせば他がすぐやってくるのだろう。
「人海戦術とか地味に嫌だよねえ。きりがない。ゲームのマッドハンド思いだしちゃうよ、まったく」
「何、それ?」
「継己ちゃん俗世の文化は疎いんだっけ? そういえば前、漫画は偉人の伝記しか読んだことないって言ってたよねー」
どうにも危機感の欠けたまま、二人は次の目的地を決めにかかる。警官の一人からケータイを頂戴して、鳩の式に飲み込ませた。GPSをオンにしておけばいくらか混乱させられる。
「はあ、早く帰ってシャワー浴びたい。だるい。正面切って戦うの疲れる。俺一応、気高きアサシン的な? 昼間活動するだけで疲労値溜まっちゃうし」
移動先について意見が割れ、余一がだんだん投げやりになってくる。余一は町の北西に位置する裏山に逃げ込んで余一特製のトラップで警官隊を数十~数百単位で足止めしようと提案していた。そんなことをすれば大ごとである。地方紙どころか全国放送レベルの事件になってしまう。余一のトラップと継己の式があればそれで逃げられるのは確実となるが、継己としてはそんな力技をのむわけにはいかない。まして大路のほかに十二雀、八条本家へ一気に火種が拡大しかねない。
「このまま町を周って、何とかまくしかないよ」
「それで余日町の観光でもしようっての? 警察はいくらでも応援呼ぶし、俺らが鳥にでも変化しても空はカラスでいっぱいだし、下水なんか絶対嫌だよ?」
どうしても後手後手になってしまう。何といっても空のカラスは野鳥を片端から襲っている。群れから離れているものは全て怪しいと踏んで大路がけしかけているのだ。紫千代がそれをかいくぐれたのは常人なら気の遠くなるような手間の不可視化術式を行っていたからである。継己の手持ちでは紫千代と同様のものを再現できなかった。そして下水は、継己も行く気にならない。地下は閏木の寝所であるという言い伝えがあり、工事をするときなどは八条当主が閏木に伺いを立てる儀式がある。無闇に荒らせば喰われる、黄泉に迷い込むといった話は閏木の伝承よりもこの町に流布している。だいたいは、鬼がいるからといった伝承に変化しているが。
「お願い、もう少し付き合って。僕はあんまり大立ち回りとかしたくないんだ」
不承不承、余一はうなずく。ただ手加減をしながら戦うというのが余一には面白くないのだった。整備したマジックアイテムも使えないし、相手へのぬるい気遣いなんてゴミ箱にシュートして爆破したい。
「女の子の我が儘に付き合うのは男子の務めだかんねえ。いやあ、色男はつらい……。んん?」
気配に振り返ると会社員風の女性が立っていた。倒れ伏す警官たちを見て、小さな悲鳴を上げる。手に下げたビニール袋からしてランチに出歩いているところを居合わせてしまったらしい。半歩踏み出した余一を継己が止める。
「穏便に、話合わせて。駄目だよ、すぐ暴力は」
耳打ちして、女性に何も心配はいらない、と目くばせする。
「あ、あのこの人たちどうしたんですか? 大変、大丈夫でしょうか」
流石に目の前の二人が犯人だとは思い至っていない女性は狼狽もあらわだったが、気弱な、善人らしい良識のある行動として通報しようとケータイを取り出した。
「救急車ならもう呼びましたよ。僕たちが来たときにはこんなことになっていて」
「ああもう、この馬鹿っ!」
余一が継己の詰襟を引っ張る。あと十センチのところをスタンガンが通り過ぎる。サンドイッチの入ったビニール袋が間抜けにぼたりと落ちる。余一が女性のこめかみ目掛けて蹴りをくらわす。だが、上体をそらして女性はそれを躱す。完全に格闘技に精通した動きだ。蹴りを外して隙を見せた余一から、ヒールを履いたとは思えないバックステップで距離をとる。
「いいね、その判断。近づいたらこれで片が付いたんだけど」
余一がコートから香水瓶のようなものを取り出してひらひらと振る。何とは言わなくてもなんとなく想像がつく。
「うう。この人も大路の? 全然わかんなかった」
喉を押さえながら、継己は余一の後ろに下がる。
「うわーお。マジでやばいって、それ。こんな状況下で、しかも気配もなく近づいてくるとか怪しすぎるでしょ。それに、俺らこの人と多分、何度か出くわしてる。この骨格、背格好の女がそういえば、いた」
言われても継己には少しもピンとくるものがなかった。どこにでもいそうな、強いて特徴をあげるとすれば困ったような下がり眉くたいだろうか。まさかスタンガンを携帯した刺客とは信じられない。
「私、ええとその……。ああ、このままだと上手く喋れない。あのっ、すみません少々お待ちになってください。すみません」
女性はハンカチと何か瓶とを取り出して、顔を拭い始めた。




