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第九話 安眠をさまたげるもの

 閏木が文字通りその根を張り巡らせている余日町において何故二人が逃げおおせたのかはわからない。だが、儀式失敗から短時間、閏木の力が極端に弱まった。しかも、儀式制度に疑問を以前から抱いていた継己の叔父の八色(やしき)が逃げる手助けをするという僥倖(ぎょうこう)もくわわり、二人は何とか行方をくらますことができた。

 そして、今では代わりの生贄候補を育てている。

 ソファから上半身をずり落としている赤原を見て、脱力しかける。あれが継己の代わりになるのだと思うと千鳥としては複雑な心境になるのだった。首元を爪でひっかくと、スタンドライトを点け千鳥は引き出しからファイルを取り出した。中には顔写真と人名、その他補足情報が綴じられている。八条家の関係者で集められるだけの情報をまとめたものだ。大路という名字を探して開く。

 今回の鶴見大介殺しの計画は千鳥たち三人だけで行われた。身を隠している状況である以上、内通者はいない。となると、諜報に優れた何者かの情報網に引っかかってしまったと考えるのが妥当だろう。ただ、大した準備もなしにこちらに攻撃を仕掛けたところといい、あまり詳細に事は知られてなかったと見える。啖呵を切ってはみせたが、あそこで引いたのは呪い返しが効いていただけで、ほかにも術者が攻撃を仕掛けてくれば継己はあっさりさらわれていただろう。今頃鶴見の死体を隠すのに四苦八苦していると思うといい気味である。海もなく、千鳥には車もないので、死体を押し付けられたのは唯一の幸運だった。

 ファイルを手繰り始めて数分も経っていないときだった。千鳥のポケットから振動がした。時刻はもう少しで四時というころ。ケータイを取り出してみるとメールではなく電話の着信で、延々とコールが続く。電話帳に登録されている相手だったが、出てもよいものか逡巡する。

 だが、無視を決め込んでも仕方がないと意を決して出た。

「もしもし、千鳥さん? 夜分遅くにすみません」

「何の用だ、交喙(いすか)

 電話口からは声変わりもまだだろうかという男の子の声。水上(みなかみ)交喙(いすか)。八条家分家にて対外への情報操作、防衛を受け持つ十二雀(じゅうにから)のメンバー、その筆頭を務める十五才の少年である。千鳥たちが八条当主の次に戦ってはいけない相手。戦えば、負けることが閏木によって約束されている。

「そう邪険にされると傷つきますよ。へえ、僕がそんなに怖いですか……?」

 交喙(いすか)の愉しげな忍び笑いがノイズ交じりに伝わってくる。風の音も時折激しくなる。

「残念だ。千鳥さんを友人だと思っていたのは僕だけだったと。ふうん」

 年齢不相応な実力を持つものが往々にしてそうであるように交喙(いすか)は分家でも変わり者で通っていた。いわば閏木の反逆者ともいえる千鳥たちに対して好意を示すとは、大路の連中とは大違いである。

「それは、どういう意味だ」

「そのままの意味ですよ。聡明な千鳥さんならわかるでしょう? 僕は、貴女たちの脱走含め閏木の意思だと思っています。だから、今日の襲撃も見逃してあげます。余一(よいち)が帰ったら鬼ごっこは終わりだ、と伝えてあげてください」

「襲撃? 何を……」

 千鳥の言葉を窓ガラスの破砕音が遮った。千鳥から見て左側、デスクとソファの間に外からの明かりを落としていた窓が粉々になって、その破片を散らした。大きな黒い物体が窓をぶち破り、床をごろごろと転がった。勢いは衰えず、反対側の壁にぶつかって部屋を揺らす。

「痛ってぇ……」

 黒ずくめの男は頭をさすりながら立ち上がる。立ち上がると平均的な身長の千鳥は見上げなくてはならないほど背が高い。

「余一、お前」

 交喙(いすか)が残したメッセージと同じ名前が千鳥の口をつく。驚きはしたものの情報がないなりに察しのついてきた千鳥を横目に、余一のほうはソファに横たわる継己に飛びついた。

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