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佐藤浩志の普通とはほど遠い日常  作者: はるのいと
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第二章 「僕は人間椅子じゃねえっ!」

先程の喧騒がまるで嘘のように、1時限目の授業はいつもと変わらぬ様子で始まった。

教壇では教科担任の豊島が頭をハゲ散らかしながら、日本史の解説を長々と行っている。

 

相変わらずコイツの授業は耳が疲れるなあ……。

何故なら声がこもっているうえに滑舌が酷く悪いため、なにを説明をしているのか全く要領を得ないのだ。

これは人にものを教える立場の人間としては、致命的な欠陥だった。

全然なに言ってんのか分んねえ……。

ったくこんだけ生徒がいるんだから、誰か一人くらいツッコめよなあ……。

っていうかその前に、いま僕が置かれてるこの状況を誰かツッコめよっ!


現在、僕は窓際の席で人間椅子と化していた。

太腿の上にちょこんと腰を下ろしているのは、ついさっき僕に熱烈なキスをかましてきた黒柳徹男であった。

ヤツは僕の首筋に両腕を絡めながら、ウットリした表情を浮かべている。

さながらお姫様抱っこ状態だ。

授業中にも関わらず欧米人も真っ青のこの大胆な行動――。

普段の豊島なら問答無用で一喝するはずだ。

だがあの口うるさい日本史大好きオヤジは、今日に限って事なかれ主義を貫いていた。

 

「あのう……黒柳君――」

 

「いやっ、名前で呼んで」

 

「ええと……じゃあ、徹男君――」

 

「呼捨てで」


ヤツは潤んだ瞳を僕に向けてきた。

いや、可愛い……ああ、違う違うっ!

騙されるな浩志、こいつは女の子ではないんだっ!。

僕は心の中で自分自身に何度も言い聞かせた。

 

「悪いんだけど、そろそろ降りてくれないかなあ……」

 

「いーやーだっ!」

 

「太腿がヤバいくらいに痺れてるんだよ。このままじゃ、脚が死んじゃうんだけど……」

 

「絶対にいーやーだっ!」


ヤツは大声で駄々をこねると、僕の胸に顔を埋めた。

もしこれが女の子であれば何の問題もない。

相手が望む限り、何時間でも人間椅子になってくれよう。

だが悲し事にヤツは男の娘なのだ……。

 

「あのう、先生」

 

「うん? どうした、佐藤」

 

「どうしたじゃないでしょ。授業中にこの状況ですよ。教師として注意とかしなくていいんですか?」

 

「注意? ああ、注意か……」


豊島はいま気付いたかのように言うと、ずれ落ちた眼鏡を溜め息交じりで上げた。

そして僕に(まとわ)りつく男の娘に、教師らしく厳しい眼差しを向けたのだ。


「こらっ! 駄目だぞ、黒柳……よしっ、じゃあ授業再開だ」

 

おいっ、ハゲっ! よしっ、じゃねえよ。

なんだ? いまの気の抜けた炭酸水のような注意はっ!

いつもの粘着質なお前は一体どこに行っちまったんだよっ!


その後も黒柳徹男はトイレと昼食以外は、僕の太腿を椅子代わりにして、さも当たり前のように纏わりついてくる。

その様子は新婚さんも真っ青のデレデレ感満載であった。

それにしても、どうしてこの僕が徹男の暴挙を断固拒否しないのか?

不思議に思った方も多いだろう。

理由は単純だ。僕と離れるとヤツは大声をあげて泣きじゃくるのだ。


こんな事をカミングアウトするのは誠に遺憾なのだが、僕は女性の涙にめっぽう弱い。

勿論、ヤツが女子でないことは重々承知の上だ。でもね、見た目は完全に美少女なの……。

僕が徹男を拒否出来ないのは、こういった情けない理由からだった。


それにしても、教師連中のあの淡泊な態度はどういうことだ?

誰一人としてヤツに、教師らしい注意をする人間がいないのだ。

そしてもう一つ僕には大きな疑問があった。

なんでコイツ、当たり前のように女子の制服着てるわけ?

これらの疑問には何か裏があるに違いない。

僕はさり気なくヤツに探りを入れることにした。

 

「なあ、徹男」

 

「なあに? ヒーちゃん」


4時限目が終わる頃には僕の呼名は ”ヒロちゃん” から ”ヒーちゃん” に格上げになっていた。

因みに16年生きてきて、ヒーちゃんと呼ばれたのは初めてだ。

男・佐藤浩志……その呼名には幾分テレます。


「お前さあ、なんで女子の制服着てんの?」


「だってこっちの方が可愛いもん。ヒーちゃんもそう思うでしょ?」


「うん、そうだね」

 

ダメだ、全く会話かみ合わねえ……。

こういう手合いを相手にするのは、経験上かなり疲れる。

よしっ、焦っても仕方がない。ここは一つ根気よく行こう。

 

「うちの教師連中は随分とお前に甘いな」


「そりゃそうだよ。だって()のパパはここの理事長も務めてるもん」


教師連中の事なかれ主義な態度。

さらりと女子の制服を身に(まと)う黒柳徹男――。

謎はあっさりと解けた。

要するにヤツは金持ちであり、権力者の息子であり、男好きの男の娘なのだ。


そしてその厄介なヤツにどういう訳か見初(みそ)められたのが、普通お求め・普通を愛し・普通の生活を送る事を至極の喜びと感じていた、普通の男子高校生であるこの僕だ。


うーん、これは忌々しき事態である。おいそれとコイツを邪険に出来ない状況だ。

何故ならそんな事をすれば、親馬鹿な理事長は権力を笠に着て僕を学園から追放する、という暴挙に出る可能性があるからだ。


かといってこのままでは僕は確実にそっちの世界(・・)へと、引きずり込まれてしまう。

こう見えても自他ともに認める流されやすい男なのだ。

現にいまもこの状況が苦にならなくなってきている。

マズイ傾向だなあ……。

よしっ、ここはひとつお互いの為に男らしくビシッと言っといた方がいいだろう。


「徹男、この際だからはっきりと言っておくぞ」


「なあに?」


「僕は女の子が好きだ」


「うん、知ってるよ」


「だから男の娘とは付き合えない」


「うん、知ってよ」


「そ、そうか……分っているんならそれでいいんだ」

 

「大丈夫。僕はもうすぐ、正真正銘の女の子になるから」


「女の子になるって……どうやって?」


「オペするの」


「……オペ?」


「うん、ちょん切っちゃうの」

 

「ああ、切っちゃうんだ……」 


「うん、タイでね」


「ああ、タイね……いいとこだよねえ、微笑みの国」

 

僕は眩暈と寒気を覚えつつ、窓の外に目を向けた。

そこにはいまの僕の心とは裏腹に、晴天の空が広がっている。

ちょん切っちゃうんだ、タイで……。




 時刻は16時12分――。

 教室の掃除も終了したころで、心と体に経験した事のない倦怠感が襲ってきた。

 原因は自明だ。いまは早く帰ってぐっすりと眠りたい……廊下を歩きながら僕は心底からそう思った。

 因みにいま現在も、僕の隣には微笑みを浮かべる徹男の姿ある。

 どうやら一緒に下校するつもりのようだ。全く、勘弁しろよ……。


「おい、見ろよ。あいつ、本当は男なんだってよ」


「うそっ、マジでっ? 女にしか見えねえじゃん」


「まあ、そうだけどよ。でも正直キモくねえ? だってあれ完全にオカマだぜ」


「はははっ、オカマって、お前言い過ぎっ!」


廊下で(たむろ)していた男子が、頭の悪そうな笑い声をあげた。

隣に目を向けると、徹男は悲しげな顔で俯いていた……。

べつに正義感が強いわけじゃないし、格好つけるつもりもない。

ましてや隣の男の娘に同情するつもりなんてさらさらないよ。

だけどキミらさあ、人として口に出して良いことと、悪いことがあるでしょうが……。

僕は溜め息まじりで徹男の耳元へ顔を近づけると ”嘘泣きしてごらん” と(ささや)いた。


「嘘泣き?」


徹男は大きな瞳をパチクリとさせ、小首を傾げてみせた。


「大丈夫だから、ほら早く」


すると徹男は安心するようにこくり頷いた。

途端に廊下で泣き叫ぶ見た目は美少女の男の娘――。

何事かと周りにいた生徒たちが、ぞくぞくと集まってくる。


「一体どうしたんだ、徹男君」


「あの人が……あの人が僕の事をおかまだって」


僕のわざとらしい問いかけに、徹男は泣きながら廊下で屯していた男子たちを指をさした。

すると周りにいた生徒たちからは ”ひどーい” やら ”最低” 等と言った罵声が上がる。

あっという間に吊し上げをくらう男子生徒たち――。

我ながら自分の手は一切汚さない、卑劣でナイスな作戦……。

罵倒される男子生徒を見つめてながら、僕は心の中で呟いた。


「ヒーちゃん」


「うん? なんだ」


「……ありがとう」


瞳を潤ませお礼の言葉を述べる徹男――。

ま、まずい。ヤバいくらいに可愛いんですけど……。

僕は照れ隠しのため、ぶっきら棒に返事をすると、足早に下駄箱へと足を向けた。




校門を潜ると学園の前には、黒塗りの高級外車と運転手が待機していた。

徹男の姿を捉えると運転手は、後部座席のドアを静かに開けた。

徹男は当たり前のように車に乗り込んでゆく。

そして僕に笑顔を向けながら手招きしてきた。

どうやらこのバカ高そうな高級車はヤツ専用の送迎車らしい。


せっかく江戸川乱歩先生よろしくの、人間椅子から解放されたんだ。

放課後くらいはゆっくりと休ませてたい。

僕は得意の嘘八百を並び立て、徹男からの自宅ご招待をなんとか回避した。

 

その後、僕はヤツを見送ると安堵から本日何度目かの溜め息を漏らした。

そしていつものように、とぼとぼと歩きながら緑川駅を目指す。

そんな時だった、いつかのように壇さんが背後から声をかけてきた。

話を聞くと彼女も緑川駅へ向かうということだったので、僕ら二人は程なくして一緒に歩き始めた。

 



「お疲れモードみたいね」


「当たり前だろ。こっちは1日中、人間椅子にされた挙句に、ずっと抱きつかれていたんだ。疲れない方がどうかしてるよ……」


緑川駅の構内――。

僕らは電車を待つ間、近場のベンチに腰を下ろしていた。

すると壇さんはにやけ顔を浮かべながら、僕の顔を覗きこんできた。


「それにしても随分と濃いキャラの子に好かれたもんね。どう、急にモテモテになった感想は?」


「10年分の厄が一気に訪れた気分だ」


壇さんは屈託なく笑い声をあげた。

他人事だと思って、この小悪魔美少女は……。


「でもさあ、ホントに可愛かったよね? 徹っちゃん」


「ああ、変な棒と玉さえなけりゃな」


「もう、下品っ!」


「こりゃ失敬」


因みにいましがた壇さんが言った、徹っちゃんとは徹男の渾名(あだな)だ。

ヤツは転校初日にして既にファンクラブが作られるという、

快挙を成し遂げていた。

しかも会員数は初日にして、全女子生徒の約半数を占めているらしい。

いつの世も女性は中性的な美少年が好きだという事だ。


因みに隣の美少女にも、当然ながらファンクラブは存在する。

徹男とは打って変わって、こちらの会員は一部の百合系女子を省けば、その全てが男子生徒で占められていた。

その人気は他校にまで及んでいるらしい。全くもって僕には全く縁のない世界である。


「そんな事よりこれからどうするの? もしかしてホントに付き合うとか?」


「さっきも言っただろ、徹男には必要(・・)のない(・・・)モノ(・・)がぶら下がっているんだ。女性経験もない僕には荷が重いよ」


「へえ、経験ないんだ」


「恥ずかしながらね」


「ふうん……それは良かった」

 

「良かったってどういう意味?」


「ヒ・ミ・ツ」


「その気もないくせに、思わせぶりな態度で男心を弄ぶのが趣味?」


「別にそんなつもりじゃ――」


「壇さんにそのつもりがなくても、男は勝手に勘違いする生き物なんだよ」

 

そう、僕は常に勘違いをする。そして一人で勝手に傷つく。

いまも心拍数と血圧が上がっているのが手に取るように分る。

僕は顔がお猿さんのおケツになる前に、丁度良く到着した電車に彼女を一人残して乗り込んだ。

 


うーん、ちょっと言い過ぎたかなあ……。

だが余りにも可愛い小悪魔っぷりだったので、照れ隠しでついキツめの言葉を浴びせてしまった。

フェミニストの僕とした事が……まあ、別にいいか。

向こうもどうせ僕の言う事なんて、いちいち気にしてないだろうし……。

僕はそう思いなおすと、電車に揺られながら暫しの惰眠(だみん)をむさぼった。


 


「息子よ、よく聞きなさい。母さんは常日頃から、恋愛には色々な形があってもいいんじゃないか、って思ってるの」


「へえ、初耳だな。それで、結局さっきからババアは一体何が言いたいんだ?」


「今度、ババアって言ったらマジで殺すわよ」


夕食(ゆうげ)のさなか我が佐藤家では先程から愚母の浩子が、息子に対して何やら遠回しの助言を繰り返していた。

そしてそんな愚母の隣には、愚妹の浩恵がニヤケ顔で僕らの会話を聞いている。何となく気にいらないので、あとでぶん殴ってやろう。


「言いたい事があるならハッキリと言え」


「別に母さんはアンタが本気なら、その()()()と付き合ってもいいと思ってるの。だけどね――」


「ちょ、ちょっと待てっ! 話が全く見えてこない」


「えっ? だってアンタ、今日転校してきた男の子に一目惚れしたんでしょ?」

 

愚母がそう言った時だった、我が愛しの愚妹がすうっと食卓から腰を上げる。

そしてそそくさと、その場をあとにしようとした。


「おいっ、妹。どこに行くつもりだ?」


「えっ? ちょ、ちょっと自分の部屋に……」


「まだメシが半分以上残ってるじゃないか。体調でも悪いのか?」


「う、うん。最近ちょっとダイエットしてて――」


「お前がダイエット? バレバレの嘘は止めろ。いいから取りあえず座れ」


僕は愚妹の言葉を遮ると鋭い視線を向ける。

すると愚妹は目を泳がせながら、即座に椅子に腰を下ろした。

 

「お前は愚母に一体なにを吹き込んだんだ? 正直に言わないと、鼻の穴にチューブワサビを突っ込むぞ」


愚妹は観念したのか正直に話し始めた。

因みに我が愚妹は僕と同様に呼吸するかのように、嘘八百を並び立てる……。

要するに血は争えないということだ。


愚妹の話によると今朝の大事件は、中等部にまで飛び火しているらしい。

そして事の真相はかなり捻じ曲げられていた。

因みに僕の愚妹は我が学園の中等部に在籍している。

 

具体的に言うと強引にキスをしたのは僕でされたのは徹男、という図式になっていた。

可勘弁してくれっ、そして爆死しろ中坊どもっ!


事の発端は伝言ゲーム形式に伝わっていった噂が原因だった。

いまでは僕は美少年愛好家とないっているらしい。

終わった、何もかも……僕は力石ふうに呟いた。

これで限りなく0に近かった彼女が出来るという確率は、完璧に0になってしまったようだ。


明日からは恐らく耐え難いイジメが始まる事だろう。

こうなっては不本意ながらこちらも戦う準備をしなければならない。

僕は気合を入れるために愚母にお代わりを求めた。


 「おいっババア、おかわりを頼む。大盛りで――」


 

その瞬間、目の前が真っ暗になった。

気が付くと僕は自室のベットで朝を迎えていた。 

愚妹の話ではババアと言った瞬間、ヤツは強烈な右フックを、僕の顎下にヒットさせたらしい。

当たり前のように僕はKO――。

そして愚妹に首根っこを掴まれながら、強制的にベッドへと連行されたそうだ。


僕とした事が……。

ババアが元全日本女子ボクシングのチャンピョンだった、という事をすっかり忘れていた。

リビングに向かうと昨日の剣幕がまるで嘘だったかのように、愚母は鼻歌交じりでマズい朝食の準備を始めていた。

それもその筈である。僕が昨夜のように虐待を受けるのは日常茶飯事だったからだ。

 


朝食を終えると僕は制服に着替えはじめた。

今日は恐らく長い一日になることだろう。

ババアの右フックで気合も入ったことだし、いざ戦場へと向かうか。


僕は玄関の姿見をみつめるとニヒルな笑みを浮かべた。

よく見ると左顎が若干腫れている。軽く触れると激痛が走った……。

も、ものすっげえ痛い……もしかしてこれ折れてんじゃねえ?

ったく少しは手加しろやっ、クソババアっ!

僕は玄関先で愚母にそう叫ぶと、颯爽と戦場である学園へと向かった。

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