あれからどうなったの?(2)
侍女として潜り込むのは侍女頭に頼んだ。
彼女は、亡くなった王妃に遺恨があった。
容易く協力してくれた。
「……そこから、また色々あってね」
ステラが狼に? ――娘の変わり果てた姿にエリソン侯爵と夫人。
そしてクリフにコニーが大泣きして、僕を責めた。
責められるのは当たり前だ。僕は黙って全てを受け入れた。
『必ず、ステラを元の姿に戻します』
『それができなかったら?』
「……そう、『狼になる』薬は、性転換の薬のように徐々にその姿を変えていくものじゃない」
(性転換の薬の方は、レノンが変えたのね?)
「一気に違う生体に変わるのはとてもリスクが高い。それは人間同士で性が違うだけでも、だ。だから徐々に、自然に変わるように僕が整調した。……だけど、『狼になる』薬はお祖父様が開発したものを更に強力にしたんだ」
(二度と、人の姿に戻れないように……?)
「人の意識も何もかもなくなって……狼として生きるように」
これは僕の『呪い』だ。
許せなかった。
何もかもが。
グライアスの愚行を見て見ぬふりをする、父である王も。
権力者というだけで、好き放題をする、兄であるグライアスも。
知っていて、達観して馬鹿にして何もしない自分が――何よりも。
「飲ませることに失敗しても、僕が飲んで狼になって狼の意識に取り込まれて、自分を忘れて生きて死ぬのもいいんじゃないかと思った。……一番心残りだったステラは男になって新しい人生を生きる。もう大丈夫だと思ったんだ」
(だけど、私が狼になっちゃったから、レノンは責任を果たさなくちゃならなくなったのね?)
『ステラが元の姿に戻らなかったら、僕が一生面倒をみます』
(……そうして薬を作って私に飲ませて、一年が経ったのね)
どうしよう、泣きたい。
一年も経っても、まだこんな状態だったんだ。
レノンの作った薬だから、きっとすぐに元の姿に戻れる。
今はそんな薬がなくても、レノンならすぐに作ってくれる――あの時、心のどこかで私はそう考えていた。
でも、実際はこうして自分の意識が戻ったのは一年後で。
私の身体は、いまだ狼のままだ。
きっと、男性になる薬の効能も消えている。
「ステラの意識が戻ったんだ。今の薬が効果があったことが証明された。大丈夫、必ずステラを元の姿に戻すから」
とにかく、エリソン侯爵家に連絡するから、と満面の笑みで言われて私は「うん」とスペルを足で叩いた。
◇◇◇◇◇
それから二日後――
季節は春が過ぎて夏の季節がやってくる暑くもない、寒くもない良い時期だ。
確か、王宮の舞踏会もそんな時期だった。
私は木陰に座って湖を眺めていた。
顔を上げれば若葉をつけた枝と枝の間から、眩しい日の光が射し込んでくる。
それを見て私は目を眇める。
そうしてまた湖に視線を向けると、青のドレスを着た女性が私に向かって手を振ってきた。
手は振れないから代わり、尻尾を振った。
豊かな黒髪が美しい兄の婚約者――今は奥様のナディア様。
側には兄・クリフと留学から帰ってきた弟がいる。
両親達は、別荘に戻って休んでいる。
コニーが付き添っていった。
(やれやれ……)
ようやく落ち着いて、私は地面に敷いた布にペタッと腹這いになる。
両親や兄やコニーと再会したとき、懐かしさで私の胸がいっぱいになった。
やっぱり私は一年間狼でいて、意識がなかったのだと痛感した。
「ステラ! ステラなのね? 母のことを覚えてる?」
「ステラ、父のことは? 分かるか?」
「兄のことは? ――それと、結婚したナディアだ」
「初めまして、ステラ様。仲良くしましょうね」
「分かる? 留学から帰ってきたんだけど……?」
「ステラ様……良かった……」
と、まあ、かわるがわる話しかけてきて私は、「覚えてる」「分かる」「分かる。初めまして、こんな姿で失礼します」「覚えてるわよ」「泣かないで」と、前足で必死にポンポンとスペルを叩いた。
自分が狼でいた記憶はないけれど、周囲は当然、私が狼でいた時を覚えているわけで……
「良かった~! 人としての記憶がよみがえっただけでも嬉しいわ!」
と母。
「もういかにも『狼』だったから、今の狼のステラは人間ぽくって安心するよ」
と兄。
(そんなに狼だったの? 私)
「最初、レノンにしか懐かなくって……私たちが近づくと唸声をあげて逃げていたんですよ」
とコニー。
それから、生肉をがっつきそうになって皆で慌てて止めたり、目の前でいきなり催そうとするので、レノンがどうにかトイレをしつけたり、いきなり駆けだしたと思ったら帰ってこなくなって、皆で森中を探し回ったり――
(色々野生な一年間だったのね……)
聞いて複雑な心境の私。
とにかく一歩前進したということで、喜んでいる皆の様子に私も嬉しく感じる。
――でも
「ステラ、疲れた?」
レノンが笑みを浮かべながら隣に座ってきた。
改めてレノンを見る。
やっぱり一年経ってるんだ。少し逞しくなってる。
袖をまくって見えている腕が太くなって、脈が浮き出ている。
前髪も長めだけど、整えているようだ。少しお洒落になったのかな。
(ごめん、レノンにすごく迷惑かけていたのね、私)
文字を綴って謝罪をするとレノンは目を大きく見開いて、首を横に振った。
「違うよ、僕が君に迷惑をかけたんだ。ステラは僕の罪を被ったんだよ、どうして謝るんだ?」
(……)
レノンが作った薬なら、常飲してなければすぐ元の姿に戻れると思っていた。
ううん、そんなこと考える暇なかった。あの時は。
レノンを止めるのに必死だった。
それでレノンの目が覚めてくれれば。
――だけど。
かえって迷惑をかけてしまっている。
(そうだ、オズワルトはどうしてるの? 殿下は?)
泣きそうになって、気を紛らわせようと他の話題を振る。
「あれから、オズワルト様は女性になって殿下と結婚した」
(そう、良かった)
「あの事件以来、殿下の浮気癖もおさまったようで、ずっと彼女一筋だよ」
(へー、ようやく落ち着いたのね)
くっく、とレノンが笑う。
「オレーリアになったオズワルト様に完全に尻を敷かれてる状態。『女性になってこんな強くなるとは思わなかった』って頭掻いてるよ、殿下は」
(でも、上手くいってるのね)
良かった。女性になるのを決意してまで殿下の側にいたいと思ったんだもの。幸せになってほしい。
――って、あれ?
(レノン、殿下と仲良くなったの?)
そんな減らず口をレノンに言えるようになってるなんて、驚いて尋ねる。
「ステラが狼になって、お互い腹の内まで晒して話し合ったんだ」
王がレノンばかり可愛がるのに、幼い頃から腹が立っていた。
『親を独占したかった小さい頃の欲求を今だ引きずっていて、悪かった』
母同士の確執を子にまで持ち出すのは間違ってる――そう思っても
自分の母が異母弟の母を殺したと分かっても
ずっと胸に抱いていたわだかまりを払うには、なかなか難しく
『あんな、卑劣なまねをした』
『それは、僕も同じ』
異母兄は、自分の母を殺した相手の子。
この人は敵じゃないし、本人じゃない。
そう思っても、どこかで貴方を恨んでいた。
「……ステラがステラ自身をかけて、兄と仲直りする機会を作ってくれた。ありがとう」
(良かった……何もかも良い方向に向かってくれたのね)
穏やかに笑うレノンの顔は、やっぱり王に似ている。
そして、裏表のない彼の笑顔を見て私は良かったと心から思った。
(レノン……良いよ、私のことは気にしないで)
「えっ?」
(一年もがんばってくれたんだもん。もう、良いよ。狼暮らしも悪くないし。自由になって)
レノンの顔から笑みが消える。
「どうして? ゆっくりだけど、こうして意識を取り戻せたんだ。何年かかるかどうか分からないけど、元の姿に戻れる。――僕が絶対に戻してみせるから」
私は、首を横に振る。
(レノンは薬術師だわ。私だけにかからないでもっと沢山の患者さんや相談に来る人達を、助けてあげるべき)
「それは、ステラがいたって変わらない! 一年間の間だってそうしていた!」
(……でも好きな人のこと、ほっといてるんじゃない?)
レノンは好きな人がいると言っていた。
確かに私に遠回しに告白してキスをしてきたけど、あれはその場を誤魔化すためにしたことだと分かってる。
レノンの恋を、犠牲にするわけにはいかない――
(あのね、レノン。私は大丈夫、本当よ。だから貴方は自分のことを第一に考えてほしいの)
――大好きだから
ああ、やっと気づけた。
やっと分かった、この不可解な気分。
――私、レノンのこと好きなんだわ。
レノンと見つめ合う。
驚きを隠せずに、目を見開きずっと私の顔を見てる。
綺麗な蒼い目。
この瞳は、これからレノンが好きで
レノンを好きでいてくれる人が映るんだ。
それが切ない。
だけど、私は狼になってしまった。
彼の足枷にしかならない。
「……君は、いつも自分のことより人のことだよね」
そう言ってレノンは瞼を閉じる。
そうしている姿は、哀しそうだ。
私は、レノンがどうしてそんな顔をするのか、分からないでいた。
(レノンは、好きな人のことどうしたの? 私のことばかり構っていたら誰かに取られちゃうわよ? それとも、もう誰かの恋人になっちゃった? ……もしそうなら、申し訳ないわ……)
レノンにはレノンの幸せがある。
(私のことばかり構って、自分の幸せを後回しにするなんて駄目)
と私は、言葉を綴る。
「――それは、君がそうだろう? ステラ。ステラはいつも自分の周りの人のことばかり気にして……自分のことは後回しじゃないか」
(……そう?)
レノンに言われて私、うーん、と首を傾げる。
「いつもそうだ……。だから、初めて出会ったときからずっと……」
覚えてる?
レノンは話し始めた。




