不可解な感情
三日遅れの薬をレノンからもらうために訪問。ついでに問診も受ける。
「今、一回の服用で五時間くらいかな?」
「へえ、順調だね。身体の変調もないようだし……。これから渡す薬は前のと分量同じだから、二週間ぶんだけにするよ。これ飲み終わったらまた来て。今度は少し強い薬を渡すから」
「うん」
今、私はレノンの前でも男性の姿でいる。
彼は私が女性の時と変わらず接してくれる。
彼の態度にコニーの件で落ち込んでいた私の心も、少し落ち着いた。
コニーには、毎日手紙を書いて届けてもらっている。
毎日の出来事と、私が『男』になった時のこと。
私は、やっぱりコニーに側にいてほしい。
彼女に側にいてもらうためにはどうしたら良いのか、本人に手紙で聞いてみるしかない。
――私は、ステラ様と結婚する気はありません。
『コニーの気持ちを尊重します』
――ただ、ステラ様のお世話はしたい。
『私も、コニーにずっといてほしい』
――だけどこれから男性になったステラ様を、一生お世話できるかどうか不安だ。
『不安を感じたら、そのたびに相談してほしい。私だって完全に男性になったら不安に感じることも出てくると思う。そのときにコニーが側にいて話を聞いてくれたらきっと、とても助かる』
こうして、手紙でこれからのことをやりとりした。
――できれば、元の女性のステラ様に戻って欲しい。
このコニーの手紙に、私は返事を書けなかった。
男になってハーレムを作る!
というのは最大の目標だけど、これを分けろ、と言われれば『男になる』『ハーレムを作る』だろう。
そして、ハーレムを作るために金を稼ぐ。これは付随だし。
『ハーレムを作る』は、とりあえず保留にしておいてもいいかと思う。
自分がどれだけ甲斐性があるかどうか、推測ができないし。
でも――『男になる』は譲れない。
このまま女性でいても、この国では私は肩身の狭い思いをして一生を過ごさなくちゃならない。
他の国に行くとか考えなくもないけど、女一人の細腕で一体なにが出来るんだろう? と考えたら先行きは暗い。
(私に何か特技が……そう、レノンみたいに『術』ができる魔力があればなあ……)
「どうしたの? 溜息なんかして。ステラらしくないな」
「あ、う、ううん……! 男になるための勉強が大変で!」
それは、正直なことだ。
「剣とか?」
「うーん……それもキツいけどね。ほら、剣だこできたし」
私はレノンの目の前で手のひらを見せる。
彼は瞳を大きく見開いて、私の手のひらに触れる。
「――!?」
「……血マメまで出来て……頑張ってるね。薬だすよ」
血マメの箇所とか、皮膚が固くなった部分を指で撫でられる。
軽く触れられているだけなのに、背中にゾクゾクとした感覚が走って思わず背筋をピンと伸ばしてしまう。
「う……、うん!お願い! 実は四日後舞踏会に呼ばれて王宮にいくから! 少しでも怪我は治しておきたいし!」
動揺してるのを隠したくて喋ったら、変に大声になってしまった。
「舞踏会……? ずいぶん急だね。男の姿で行くの?」
そう、二日前にわざわざ別荘に舞踏会の招待状が届いたのだ。
と、いっても兄クリフ宛てだけど。
長く王宮仕えを休んでいるので、心配になったのか殿下直筆の手紙付きで使者がやってきたわけ。
なら――
『父と母も呼ばれているようだし、そこでお前のことを話してみるか』
と兄。
「うん! そこでようやく両親にばらすつもり!」
「……て、そこでか。侯爵も夫人も卒倒しないことを祈るよ」
苦笑いしながらレノンは、私の手から指を離す。
――彼の指の感覚が消えて、どうしてか胸の内に冷たい風が吹いた。
「じゃあ、薬分けるから。ちょっと待ってて」
レノンは私の動揺に「?」というような表情をしたけれど、大して気にしていないように席を離れた。
「……な、なんなの……? 今の感覚って……」
初めての感覚に私は顔を熱くして狼狽えた。
◇◇◇◇◇
「僕で良かったら、クリフ様には聞けない『男』としての指導するけれど……必要ある?」
帰り際レノンに尋ねられた。
なんとなく、レノンの言わんとすることが分かって私は「うーん」と唸る。
そう、結構大変だ。特に男性の『性』のことは。
いずれ教えを乞わねば! と思うものの、血の繋がった兄に教えてもらうのは恥ずかしい。
多分、兄も恥ずかしいと思う。
「キスにいろいろ種類があるのは知ってるけど……、やっぱりその先も、色々種類があるんだよね? そういうの、どこで教えてもらったら一番良いの?」
兄が難しかったら、他の、その道の玄人に教えを乞うしかない。
じっとレノンを見る。
レノンの顔が急速に赤くなっていく。
「すいません、僕は無理です。……で、でも……そういう教えてくれる場所は知ってる……」
とモゴモゴしながら答えた。
「知ってるの!? どこ! そこ!」
私はレノンの情報に飛びつく。
「え、と……ステラがもう少しそう……日の半分くらい男の姿でいられるようになったらの方が、いいかと思う……。最初は最低でも一晩かかるし」
そんなに?
「じゃあ、今は無理ね」
「来月の今頃あたりなら大丈夫じゃないかな?」
来月かー、楽しみになってきた!
(……って、あれ……?)
急に降って沸いた疑問にレノンに尋ねる。
「レノン、どうしてそういう教えてくれる場所を知ってるの?」
「えっ……? だ、だって、ふ、普通は、う、生まれてずっと男だったらし、知ってるし……」
顔を真っ赤にしたまま汗をかいて焦るレノンの挙動不審さが、私をますます疑心の固まりにさせる。
「ふーん……。まあ、良いわ。とにかく、そこで最初から最後まで教えてもらえばいいのね?」
「もしかしたら、クリフ様が準備してくれるかもしれないな……ステラは貴族だし」
ふ、とレノンが思いだしたように言い出した。
「? えっ? 貴族だと違うの?」
「うん、違うと思う」
訳わからない。
貴族と一般の市民と夜の生活は、違うということ?
「なんだかややこしそうね……」
「ややこしいというか、ステラがややこしいというか、男になったり女になったりだから」
「まあ、そういうこと知ってるということは、レノンは知ってるのねー」
ちょっと、ムカムカして言ってしまった。
レノンは生まれてずっと男だから、男としての生理や感情とか全部持っている。
私は、元は女だからこれから学んでいかなきゃならない。
要するに男性としてはまだ生まれたてなんだ、私は。
「先輩風ふかして、ずるいなぁ」
「そんなことないよ」
「どうせ、私はまだ男として未熟ですよー」
そう拗ねてみるけど、自分がもやもやして拗ねる部分はそこじゃない。
分かっているのに、それがなんなのか自分でも分からない。
「レノンはもう、大人ですもんねー。ああ、良いなあ」
台詞、棒読み。
「大人って言ってもね……これは、その……しょうがないことだし。僕だって聖人じゃないから、好きな人を思い出して、どうしようもないときだってあるんだから」
――好きな人?
「……好きな人、いるんだ」
私の問いにレノンは失言したと、口を手で塞ぐ。
胸がバクバクする、痛いんだけど?
真っ赤になって俯くレノンの様子が、とてもいらついて腹立たしくて
(……悲しい?)
「そ、そうか、好きな人、いたんだね……! ご、ごめん、しょちゅう訪ねにきちゃって! もしかしたら私のせいで会えなかったりしちゃった? ちょっと、会いにくるの控えるわ!」
「えっ? いいよ、そもそもステラは患者なんだし」
患者――か。
「患者でごめんね! 悪かったわね!」
「友達でもあるし」
「友達で患者だしね! ごめんね! 恋人に独占してごめんて謝っておいて!」
「恋人いないって! 好きな人と恋人違うから!」
「どっちも一緒だよ!!」
「どうして一緒なんだよ!! 片思いだよ!!」
エキサイトして、レノンの「片思い」の言葉に冷静になる。
「……ご、ごめん。頑張ってる最中なんだ?」
レノンは首を横に振った。
「いいよ、叶わない恋だから」
「身分違いとか?」
私の問いに、彼は複雑そうな笑顔を見せる。
「もうすぐ、僕の手の届かないところにいく人だから……」
「病気、とか?」
「うーん……」とただ、困ってように声を出すだけだ、レノンは。
言いたくない秘密の恋なのだろうか。
「分かった、これ以上は聞かない。でも、レノン。簡単に諦めちゃ駄目だと思う」
「えっ……?」と驚くレノンに私はまくし立てる。
「レノンは消極的だから、迫ってもないうちに諦めちゃってるんでしょ? どうせ。本当に好きなら頑張ってみたら?」
「いや、相手にされてないから」
「レノンはそうやって諦めちゃうから。まず、彼女の気を引けるように身だしなみから頑張ってみて! 髪の毛とか整えてみたらどう?」
と私はレノンの前髪をあげる。
「ほら、こうやったらいいじゃない。もともとレノンは良い顔してる……」
レノンが、髪をあげる私の手を握りしめてきた。思わず見つめ合う。
蒼い、澄んだ瞳は、相変わらず引き込まれるくらい綺麗だ。
その瞳が私を見てひどく揺れていた。
「ステラ……」
私の名前を呼ぶレノンの声が掠れてる。
吐息が熱い。握られた手の皮膚がレノンの熱さを伝えている。
誰を想って私を見てるんだろう?
私を見ているけど私じゃない。
それは分かった。だって、今の私は男性だし。
「……そうだね、そうしてみるよ」
そう言ってレノンは私の手を離した。




