レノンの過去は思ったより壮絶でした(1)
――ここで鉢合わせはまずい!
私とレノンは顔を見合わせる。すぐに動いたのはレノンだった。
「寝室に隠れていて」
背中を押され、誘導される。
中二階の低い階段を登らされると、そこは屋根裏部屋のようだ。
小さな窓が一つあるだけ。
「顔を覗かせちゃ駄目だよ。勿論、音にも気を付けて」
レノンは手短にそう言って、玄関に向かっていく。
「いらっしゃいませんか? レノン様」
「今、開けます」
扉の開く音。
私は縮こまって息を潜める。
私は――女性から男性に。
オズワルトは――男性から女性に。
なろうとしている。
これは絶対、周囲に知られてはならないこと。
「すいません。今、仕事の途中で……散らかってますが」
テーブルの上にはまだ、ドライハーブやらウォッカの瓶とか散乱しているはずだ。
「お仕事中にすいません。薬の効果についてご相談があって……」
懐かしいオズワルトの声。
少し声が高くなり、違う甘さが含まれる。
(女性になる薬の効果なのかな……)
そう思うと複雑な気分だ。
私は、彼のあの声も顔と同じくらい好きだった。
女性になって好きだった彼の面影も残るだろうけど、今までの彼じゃなくなるのは寂しいような、悲しいような――
(……兄もそんな気持ちなのかしら)
改めて、兄の心情に気づいた気がする。
「それで、ご相談とは?」
椅子に座ってもらったのか、上からレノンが椅子に腰掛けた姿が見える。
――勿論、顔を出していない。この角度ならオズワルトからは見えないだろう。
私は息を潜めつつ会話に耳を傾ける。
「……もっと早く女性になりたいんです! もっと薬の量を増やしていいでしょうか?」
「駄目です」
レノン、即答。
「お願いです! 早く早く女性になって……そうしないと、アスに、殿下に女性として見て愛してもらいたいんです!」
「駄目です」
(……レノン、冷たい。もう少し、さあ、優しくいえないのかなあ)
昔っから貴族階級が苦手なのは知っていたけれど、もう少し言いようがあると思うんだ。
中途半端でも、今は女性に変わりつつある男性なのに。
「お願いします!」
オズワルトは諦めずに懸命に頼み込んでいる。
「見たところ順調なようですし……三ヶ月ほどしたら姿は、女性そのものになるでしょう。焦って早めたりしたら副作用や後遺症が残りかねませんよ? あなたは殿下のお子を産むために性転換を決めたんでしょう?なら、できるだけ健康な身体のままで挑むべきです」
(ああ、やっぱりそれが性転換の理由なんだ)
オズワルトは殿下の子供を自分で産みたい。
でも、男性のままでは無理。
だから殿下は、側妃を娶ろうとしている。
殿下を取られるようで怖いのだろう。
殿下には男兄弟がいないから、どうしても跡継ぎが必要だから仕方ない選択なんだけれど。
感情がついていかないんだろうな。
(そういうオズワルトの感情って、女性そのものよねぇ)
「だけど……! だけど! 不安なんです! 女性になるまで殿下と離ればなれに暮らして、そのうち殿下は私のことを忘れるのでは? 僕がいないうちに新しい愛人をおつくりになるのでは? いえ! 側妃が決まってしまうのかもしれないと……!」
オズワルトの訴えは後半になると感情におされ、泣き声になっていた。
(分かるなあ……その気持ち)
うんうん、と頷く私。
「殿下には、お話になっていないんですか?」
「……はい。『そのままでいい』と一点張りで。それに……ここにヒュー様にお会いして薬をもらうなんて言ったらきっと、酷くお怒りになります」
レノンの溜息が耳に届く。
「お互い納得のいくまで話し合ってからの方が良かったんじゃないですか? 今からでも遅くはないと思いますが……」
「でも……! でも……! 僕は男ではいけないんです! 男では子は望めない! 僕は殿下の子が欲しいんです!」
「その思いを、殿下に言いました?」
「言いました……でも、『無理だから』と。……無理を可能にしなくちゃいけなんです!!」
メソメソとオズワルトの泣き声がここまで聞こえてくる。
わたしまで溜息をつきそうになる。
(こりゃあ、説得に時間がかかりそう)
さめざめと泣いてるし。
わたしは靴を脱いで改めて部屋を見渡した。
そう言えばレノンの寝室に入ったのは初めてだ。
といっても、珍しいものは何もない。
衣装ケースとベッド。そしてベッドの脇に小さな戸棚にランプのみ。
クン、と鼻をひくつかせるとレノンの匂いがする。
彼の元々の匂いと、消毒液とか薬品とか色々混じったもの。
不思議と嫌いじゃない。この匂い。
私は足音がでないようそろそろと歩き、ベッドに乗る。
そこに、寝室にたった一つしかない窓があるからだ。
(まあ、ここから外を眺めるくらいなら構わないわよね?)
と外を眺めて、側にある大きな樹木を見て「あ、鳥の巣」とかほのぼのとしていたら、前方からものすごい勢いで騎馬がやってくる。
うわあ……森の中でそれは危ないわーとか思っていたら、さすがに気づいたようでその人は馬から降りて、その場の樹の幹に馬をくくりつける。
そしてえらい勢いでレノン宅に向かって突進してきた。
道に伸びている枝やらお構いなく、体当たりでボキボキ折っていく。
イノシシみたーい、と暢気に眺めて、目視できる距離になって私は転げそうになるほど驚いた。
――グライアス殿下!!
ど、どどどどどどどどうしよう!!
レノンに知らせなきゃ! と思ったところではた、と。
下にはオズワルトだよ!!
うわぁ……これはオズワルトを迎えにきたんだ。
そして――あの殿下の様子だと
(ここにいることに酷く怒っている!!)
これはもう、下に降りて知らせた方がいい?
ワタワタしていたら、あっという間だった。
「どういうことだ! レノン!! 我が最愛のオズをどうするつもりだ!!」
扉を蹴破ってズカズカ入ってきた。
レノンもオズワルトもさぞかし驚いただろう。
私は忍び足で屋根裏部屋の扉付近に近づき、下を覗く。
「アス……!」
オズワルトの声がする。
「オズ、こっちへ! そんな奴の側にいるんじゃない!」
私からはレノンの頭しか見えない。
「そんな奴」とかいわれて、レノンは殿下に何かしたのだろうか?
「アス、止めて。僕は彼に薬を処方してもらっているの!」
「薬……? 奴にか? 止めろ! 殺されるぞ! こいつは王宮に恨みしかない、現に私の母はこやつの師匠に見殺しにされたんだからな!」
殿下もレノンもどんな表情をしているのか、こちらからは見えない。
ただ、声と殿下の荒い息遣いしか聞こえない。
つーか、殿下の息遣いが本当にイノシシみたいな獣だ。
「――見殺し?」
対してレノンの声音は、酷く冷めていた。
「貴方といい王といい、自分の大切な身内がどんな非道なことをしても可愛いんですね? いや、素知らぬ振り? 気づかない振り? 貴方の母親に僕の母親を殺されたことは、なかったことなんでしょうね?」
――えっ?
(殺された……?)
殿下の母親ってことは、病で亡くなった王妃のことよね。
レノンのお母様は、王妃と知り合いだったの?
そうだ、王宮勤めだったヒューさんがレノンを連れてこの森に住み始めたって言ってたから。
レノンも昔は、お母様と王宮にいたってことよね?
「何をいう! あれは誤解だと聞いている! 母には全く非がなかった! それを貴様の爺が『王妃の仕業』と騒ぎ立てたのではないか!!」
「へぇ……それは誰から聞いたんですか? 是非、出所を聞きたいですね?」
「父だ! 国王がそう言ったのだから間違いはない!! 貴様こそ、まさかオズに毒など仕込んでなかろうな!?」
「はっ」とレノンの鼻で笑う声が聞こえた。
冷たくて、しかも馬鹿にした声音だ。
(こんなレノンの声……初めて聞いた)
「王もとうとう耄碌したんでしょうかね? 薬を処方しましょうか? とお尋ねください。まあ、捏造くらいわけない身分ですから。人一人殺されたってどうでもいいんでしょうね」
「……貴様……! 父を愚弄しおって……!」
「何を殿下。貴方の父は、僕の父でもあるんですが?」
――えっ?




