兄に男として「新人」教育されます(4)
「最初、オズワルト様がいらっしゃたのは一年ほど前です。まだ、ヒュー師匠が生きていた頃。彼は『女性になりたい。そのような薬はできるのか?』という相談でした」
「私に求婚する前の話ね」
そこから心境の変化があって男として生きて結婚することにしたんだろう。
何があったのか……まあ、痴話喧嘩かなにかだろう、きっと。
「これは……クリフ様に初めてお話することなので、機密として他の者にはお話しないでください――例え、親でも。それはお約束できますか? できなかったらこれまでです」
「分かった。約束しよう」
レノンの固い口調に兄も何か感じたのだろう。はっきりと頷き約束する。
「師匠はそれ以前に王家から、間諜用にいくつか薬を作るように命じていました。そのうちの一つが『性転換』の薬です」
「なるほどな……。元々、諜報活動用に作られたものだったのか。それなら納得できる。でも、使われなかったのだな?」
「はい」と兄の問いにレノンは頷く。
「性転換は思ったより時間がかかる薬になってしまって……。これでは使えないとお流れになったんです。でも、世の中には自分の性に疑問を持つ人や、生きるために性を変えたいという人が結構いるもので、噂を聞いた方々がこっそりと買い求めにきて、師匠もそれに応じていたんです」
「そして、オズワルトがやってきた、ってわけね」
と私。
「師匠は、作り置きなどしないで依頼に応じて作っていました。なので、オズワルト様の時にも『よく考えて』『それからまた来なさい』『それから作りましょう』とお話して一旦お帰りになってもらったんです。それは、オズワルト様自身がまだお悩みになっていたから」
「私の時は一週間空いたけど、それは薬を作る時間だったしあっさり引き受けてくれたのね」
私の言葉にレノンはしばらく間を空ける。
「……ステラの頼みだったからね」
そう短く言った。
私の頼みだから、あっさり引き受けたってことなの?
どうしてだろう?
兄とコニーが微妙な顔をして、私を見てる。
「何……?」
「いや、何でも……。レノン、続けてくれ」
だーかーらーなーにーよー!
むっとした私を放っとくことにしていることにも腹が立つ。
レノンはレノンで、お構いなしに話の続きを始めた。
「それから――一ヶ月経った頃だったと思います。夜中に本人が来て『必要なくなりました』と」
「ああ、なるほどな……」
兄が納得した顔で口を開いた。
「どういうこと?」
「逆算するとその辺りだ。殿下の婚約発表」
「ああ!」とそこにいる全員が納得する。
「それで、私と急接近して求婚したわけなのね! …………ぅう……、恋を忘れるために私と……」
それはないわー。
急速に落ち込んでいく私。
恋を忘れるためには新しい恋を! というのは一つの対処法で間違いじゃないと思う。
おかしいことじゃないと思う。
でも、オズワルトは忘れなかった。
グライアス殿下への恋心を忘れられなかったんだ。
そして――
「土壇場で! 結婚式で! あんな略奪劇を……! 許すまじ……!」
あのシーンを思い出すと、腸煮えくり返るわ悲しいわで発狂しそうになる。
いきなり椅子に八つ当たりし始めた私に、兄とコニーは慌てて止める。
「ステラ様! あれです! そう、男性になればきっとステラ様はきっと大もてですわ! だって、あれほど美形なのですから! 完璧に男性になれば女性なんてよりどりみどりです!」
「そ、そうよね……? そうよ! 女性達が振り向かずにいられないほどの超絶美形だもの!」
私、半泣きでコニーの意見に賛同。
もう泣かずにいられますか!!
「――あ、その『美形』ね。薬の作用だから」
レノンの言葉に一瞬私が止まる。
「薬渡したとき話したじゃない。『ちょっとお得な作用もある』って。間諜用だったから、相手を誘惑しやすいように性転換後は何割か美形になる使用なんだ」
「そ、そう……そう、なの……」
『男に生まれていたら良かったと思うほどの美形』じゃなく
『作られた美形』だったんだ。
「で、でも……! 結局、美形になるし! 万々歳よ!」
そうよ! 美形男子になって新しく生まれ変わるの!
ちょっとガッカリだよ!
あれは私の、生まれついての美貌じゃなかったなんて!
「――そのためには」
「……な、なんだ?」
私のぎらついた眼差しに兄が退いていく。
「お兄様! どうか私に『男』として教育してください……っ!」
素早く兄の手を取り、ぎゅう、と握りしめる。
「わ、私が? そ、そんなことレノンに頼めば……! 彼だって男だろう?」
「――いや、多分ステラが理想とする男性像と、かけ離れているんだと思います」
レノン、あっさり拒否。
「剣も出来るし、王宮に勤めてらっしゃるのだから女性の口説き方とか心得ているでしょう?」
「いや、王宮には口説きに行ってるのではないが……?」
「お兄様は私の中の『男の中の男』!なんです!」
「そ、そうか……?」
まんざらでないようで、兄の顔が急速に綻んでいく。
「私、お兄様のような男性になりたいの……! お願い、お兄様! 私を『男の中の男』にして!」
ここは女の子特権「お願い」ポーズでおねだり。
いやあ、今は女性で良かったわ。
「うぅむ……他でもない可愛い妹のためだ! 休暇を取ってみっちり鍛えてやろう!」
こほん、と咳払いしながら兄が了承してくれた。
「きゃー!! ありがとう! お兄様!!」
抱きついてチュッ、と兄の頬にキス。
昔はよくやってたなあ、兄はこれに弱いのよね。
「……これから、こうして妹にキスしてもらうことはなくなるんだな……」
ちょっと、寂しそうに呟く兄だったけど、私は嬉しくてクルクルとその場を回る。
――うん! どんどん道が開けてきた!
目指せ! ハーレム生活!
◇◇◇◇◇
早速、ステラの「男性教育」をするのにクリフは王宮に手紙をしたためた。
『病にかかり、長引きそうだ。しばらく王宮の出入りを控える』
と、その旨を書、使者に届けてもらう。
明日から別荘でステラと共に暮らし、みっちりと教育を施す予定だ。
別荘で夕食をご馳走になったレノンは帰るのがすっかり遅くなり、とはいえ、使者は王宮へやってしまったので、こうしてクリフが彼の自宅まで送っているところだ。
治安のよい地域だから構わない、とレノンは断ったのだが「送っていく」とクリフは半ば強引についてきたのだ。
「レノン、君はそれでいいのか?」
「何がです?」
「……正直、君がステラの考えに同調して、手を貸すとは思わなかった」
「そうですか?」
手に持つランプの明かりが、二人と周囲を照らす。
クリフは、橙の明かりに照らされているレノンを横目で見つつ、話しかける。
昔から髪はボサボサで、自分の服装にかまけない彼だが、実はなかなか端正な顔立ちなことをクリフは知っている。
青の瞳には研究者としての知識の深さで彩られ、年齢よりずっと落ち着いているように見える。
実直で真面目で――何より、妹を好いてくれている。
「私は、君なら妹を任せられると思っているのだが……」
クリフの言葉にレノンは立ち止まり、驚いたように彼に振り向く。
そしてしばし見つめ合った後、自嘲気味な笑みを作った。
「無理ですよ? 僕は以前の地位を持つ僕ではありません。ヒュー師匠が亡くなったとき、すべてを放棄しましたから」
「廃嫡手続きもしたのか?」
「ええ。命を狙われるのなんてごめんです。……それに、今更王宮に連れ戻されても僕は何もできない。薬術師としてずっとやっていくつもりです」
「事実を知っている者は、きっとそうは思わないだろう。王のグライアス殿下に対する評価は今回でかなり下がった。きっと跡継ぎ問題で君を担ぎ上げようとする者が出てくると思う」
「……クリフ様、貴方が? ですか?」
苦笑しながら尋ねてきたレノンに、クリフは肩を竦めつつ、答える。
「彼は王としての素質は充分に備えている。王になるべくして生まれた方だと私は思う。衆道だって、女性も大丈夫なのだから咎めはしない。――ただ、オズワルトにはまりすぎた。私は自重してくれればそれでいいと思っている」
「オズワルト様が女性になって、お子を産めば万事解決でしょう?」
「そうなればいいがね……あの薬は本当に大丈夫なのか? 副作用とか」
ステラが心配なのだろう。
「師匠の手記を見ると副作用、というよりステラにも話しましたけれど変化にともなって、心がついていけない、というのが問題になっていくようです」
ああ、なるほど、とクリフは納得したように頷くとレノンが再び歩き出す。
「……クリフ様、僕はこのままでいい。『ステラとは仲のいい幼なじみ』でいい……。ステラと僕は所詮住む世界が違う。彼女はこんな片田舎の森の中にあるみずぼらしい家で暮らせる人じゃない」
クリフはレノンのその言葉に何も返さなかった。
レノンは、王宮や貴族を嫌っている。
今、こうして自分に普通に接してくれているのは、すべて何も知らないステラのお陰だ。
ステラが彼に『貴族だって平民と同じように嫌な奴もいい奴もいる』と身を持って経験させてくれたからだ。
ステラのあの自由奔放で、何事にもとらわれない性格のお陰なのだから。
(……ただ、貴族の娘としては奔放すぎて……王宮では難ありなんだよな……)
「そういえば――クリフ様はもう反対はしないつもりですか? ステラの性転換」
レノンに問われ、「あ」と大事なことを思い出す。
雰囲気にのまれて男性修行に了承してしまったが……
「……正直、ステラが男に変わってしまうのは抵抗がある。非常に抵抗がある! ……だけど、今の現状だとステラの気持ちも分かるし、このままだと本当にうちの両親が修道院に入れそうだし、へたすると金や地位はあるけど評判の悪い貴族辺りに無理矢理嫁がせそうな雰囲気でな……。なら、いっそうのこと『女性のステラ』はこの世からいなくなった方がいいのかもしれない、と考え直したんだが……」
「そうですか……」
「だから、レノン。君がステラを娶って――」
「無理です」
クリフの言葉をレノンは強く制す。
「ステラのこと、一人の女性として見れないかい?」
ランプの拙い明かりでも、彼の頬が赤く染まったのがクリフに見て取れた。
「……自分の想いより、僕はステラの思いを大切にしたい。それだけです」
レノンはそう締めくくった。




