兄に男として「新人」教育されます(3)
それから――半時間ほどして。
何故か、いつもより頭ぼさぼさでヨレヨレになったレノンが部屋に入ってきた。
「どうしたの?」
千鳥足のレノンに近寄り、腕を支える。
「エリソン家の使者の馬に相乗りしたのはいいんだけど……『急ぎなので!』とすごい早さで馬を走らすものだから……酔った……」
「どうりで早いと思った」
と、私はレノンを長椅子に横倒しながらコニーに気付けの酒を頼んだ。
「レノン、久しぶりだな」
兄は酔って横になっているレノンに近づき、話しやすいように目線の位置までしゃがんで見せた。
「酔っているところすまんが――ここにいる、俺に似た若者は、『自分はステラだ』とうそぶいているのだが……本当なのか?」
まだ酔っているレノンは、うっすらと瞼を開け、私を見やる。
「……そうです。クリフ様の妹のステラ様、ですよ……」
そこまで言うと、「うっ」と口を押さえ、必死に吐き気を押さえた。
「本当……なのか?」
兄の肩がフルフルと大きく震えている。
衝撃に耐えられない、という風にガクリ、と両膝を床につけた。
「いや……っ! レノン! お前まで私を騙そうとしているのか? そうか! これは遊びだな? 私を驚かそうとこんな冗談を……!」
「男に変化するところは見ていなかったんですか……?」
「逆なら見せられるけど、女から男になる場合服がきつくなるでしょう? 破きたくないもの。変化が始まったとき、寝室に入っちゃったの」
レノンの問いに私が答える。
コニーが気付けの酒を持ってきてくれて、小さなグラスに注いだ酒をレノンに渡す。
「……じゃあ、男から女に戻る時を見てもらうしかないんじゃ……」
レノンは、ゆっくりと起き上がり、チビチビと酒を飲みながらクリフに告げる。
「……そんな、こと、出来るわけない……! いくらあの『天才薬術師』だったヒュー殿の弟子だからと……!」
「ヒュー師匠の調整法ですから……」
「レノン! ヒュー殿が天才だったのはよく知っている。だから、彼でしか調整できない薬は数多い。いくらノートに書き残してあるからといって、あっさり簡単に作ってしまう君も、その辺の薬術師より優れていると知っておけ……」
「じゃあ! 私がステラだと分かってくれたのね? お兄様!」
「それとこれとは別だ!!」
キッと睨まれる。
「どうしたら信じて――っあ……」
膝が震えてきた。ドクドクと心の臓が激しく打ち鳴らす。
血が逆流しそうな感覚に、私は自分を抱き締める。
「変化……始まった……」
身体がむず痒いのは、毎回のことだけど慣れない。
苦い薬の味は慣れたのに。
「コニー、男になって戻る時間、分かる?」
レノンが急に素面に戻った。研究者のような眼差しで私を見つめる。
「約二時間くらいかと……」
コニーが柱時計を眺めつつ答えた。
「十日目で二時間か……順調だね」
そう呟きレノンは眼窩に片眼鏡をつけると、懐から羊皮紙とペンを取り出し、書き込む。
「一ヶ月後には何もなければ半日くらいは、男のままでいられるかも。そうしたら薬も調整しないと駄目かなあ……」
ぶつぶつ言いながら書き込んでいるレノンの横で
「おい……! 何言ってるんだ? あの若者の様子がおかしいんだぞ? ってあの若者はどうでもいい……! ステラは? ステラはどこにいる? レノン殿は知ってるだろう?」
と兄が騒いでいる。
「目の前にいる男の人がステラ様ですって」
「そうですよ、クリフ様」
レノンとコニーの突っ込みに、兄はどうしても納得できないらしい。
「違う……! 断じて違う……!」
と騒ぎ立てる。
「一見にしかず、ですよ。あっとう言う間に女に戻りますから、見ていてください」
レノンの言葉に兄は冷や汗を掻きつつ、私を見つめた。
「……っ!」
広かった肩幅が小さくなだらかな肩になる。
喉笛が出っ張っていた喉はすべらかに。
腕は一回り細く。
腰も萎み、女らしいラインになる。
痛くはないけれど、ムズムズする感覚に身体が震える。
「ううううううう……レノン、このムズムズなんとかならないの……?」
「……時間が延びてくると変化もゆっくりになっていくから、多分、そういう感覚は消えていくと思う」
レノンは淡々と答えながら、私の様子を書き込んでいっている。
「ちょっと……! レノン、落ち着きすぎ! 幼なじみの態度じゃない、それ!」
「観察は薬の品質向上のためには必要なこと。これはステラのためでもあるんだよ」
さらりと言われて、私、納得。というか、あっさり納得してしまう私の性格ってどうなの?
冷静なレノンの横で兄が私を見て戦慄いている。
すっかり女性の姿に戻った私を見て
「何てことだ……」
と呆然とした。
ダブダブになった服をたぐり寄せながら、私はそんな兄に話しかける。
「だから言ったでしょ? ステラだって」
突如、兄はコニーから気付けの酒を乱暴に取り上げると、一気に飲み干す。
それから
「レノーーーーン!! 最初から説明しろ!!」
と空気が震えるほど大きな声を出した。
◇◇◇◇◇
「……何故、ステラが男になりたいのか……理由は分かった。いや、分かりすぎるほど分かる。このまま女として過ごしても父と母は、恐らくこの別荘から王都にステラを呼び寄せない。一生、ここで暮らすか、修道院に放り込まれるかだろう」
「やっぱりそうよね……」
両親の思惑はうすうす感じていたけれど……。血の繋がった兄に言われると現実味が増して、落ち込んでしまいたくなる。
「お前のせいではないのだけどな……。グライアス殿下の側妃になるのを断ったのが、父と母にとっては『王家の申し出を無碍にした』と立腹しているのだ」
両親の世代は「お上の命令は絶対」だ。王の怒りを受ければお家断絶になりかねない。
逆に気に入られれば――一族の繁栄は間違いはない。
王の臣下として特権集団の中に入り込んだのに、今更そこから抜け出せない=そこから抜けたら恥という観念があるんだろう。
「でもなぁ……兄としては、ステラは女性のステラのままでいて欲しい……我が儘な意見だけどな」
「女のままだと、もう私はこの国では生きづらいんでしょ?」
「うん、そうなんだ、そうなんだけど……我がエリソン家の紅一点として生まれたお前が、どんなじゃじゃ馬でも可愛かった……」
「紅一点って――お母様もいるじゃない」
「母は抜かしてくれないか?」
ショボーンと頭を垂らして喋る兄がそこまで自分を思ってくれていたなんて、正直すごく嬉しい。
だけど――私の状況はよくないと兄の話した内容でもとれる。
「でも、このままだと、私だけじゃなくてエリソン家も窮地に追い込まれそうに感じたんだけど……」
「殿下が無事に跡継ぎを生む女性を娶ることができたら、まあ、お前のことは忘れていくと思う。問題は――」
「ああ……分かった。なんか分かった。大方、オズワルトがグズっているとか、側妃になる候補が見つからないとか、そんなことじゃない?」
「その通り」と兄が頷く。
「……しかも、オズワルトが『なら、僕が殿下の跡継ぎを産みます!』とかトンチキなことを言い出してな……現在、精神不安定で療養中なのだ……そうなったのも『エリソン家の令嬢が側妃の件を断ったせいだ』とか面白おかしく周囲の者達が言いふらして……」
「ふーん……」
私、ますます悪役令嬢扱いじゃないの。
「……」
「……!? それって……?」
「……えっ? ――ぁあ!?」
私も兄もコニーも一斉にレノンを見つめた。
三人の殺気だった顔に、さすがにレノンも羊皮紙から「やばっ」という顔をしてあげる。
「以前話していた『女になりたい』人って……!」
三人に詰め寄られレノンは
「秘密厳守だから! これ、秘密厳守だから!」
と喚く。
逃げようとするレノンを兄は
「まあまあ、レノン。これは『ここだけの秘密』ということで」
と両肩を押し、長椅子に彼の身体を戻す。
「レノン。ここは正直に話すべきよ」
「そうですよ、レノン様。お話が長くなりそうなら、夕食もここでお召し上がりになっていってください」
「ぅう……」
私含む三人の気迫に、レノンは冷や汗を掻き、降参した。




