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第1部 Chapter 2 <3>

 浅い眠りの中で、星矢は夢を見ていた。

 二階の自分の部屋のベッドに、髪の長い女が横たわっている。

 白く裾の長い服を着ているのは、よくテレビで見るステレオタイプの幽霊と同じだ。

 まつげの長いその顔は、よく見るとなかなかの美人だった。

 幼い子供のように邪気のない寝顔は親しみさえ感じられ、怖いという気はしなかった。

 星矢は夢の中で声をかける。

「琥珀!」

 ああ、ばかだな、犬の名前を呼んでしまった。

 半分覚醒している星矢の意識がそう思ったとき、女は目を開けてにっこり星矢にほほえみかけた。


「星矢、こんなとこで寝て、風邪ひくわよ。

 ごはん出来たから起きなさい。制服も着替えないと。」

 直子の声がして目を開けると、目の前に琥珀の鼻面があって星矢はぎょっとした。

 金茶色の瞳が、星矢をじっと見つめていた。

「おまえ、けっこうまつ毛長いなあ。」

 星矢は琥珀の耳をくしゃくしゃっとなでると、勢いよく起きあがった。

 ダイニングテーブルには、電子レンジで温めたトンカツとカット野菜を盛りつけた皿が並んでいた。

 直子が作ったのはみそ汁だけだった。

 最近はだいたいいつもこんなメニューだったが、食べ盛りの星矢には全く気にならなかった。

 魚より肉、和食より洋食、量があれば、それでいい。

 直子は自分も食卓について食べ始めた。

「学校はどうなの。」

 一応、母親らしいことを聞いてくる。

 星矢には、さしあたって言うことがない。

「別に、ふつう。」

「あんたはいつもそれね。」

 直子はため息混じりに笑った。

「あーあ、もう一人女の子が欲しかったな。男の子は無口でつまらない。」

「琥珀がいるじゃないか。琥珀は女の子だろ。」

 星矢がそう言うと、直子は足元の琥珀を見下ろした。

「あんたがしゃべれたらねえ、賑やかだろうねえ。」

 琥珀はきちんとお座りをし直して、ドライフード以外にも何かおいしい物がもらえやしないか、期待しているふうだ。

「きっと頭の中は、食いもんのことだけだろ。なあ、琥珀。」

 星矢がそう言うと、琥珀はちょっと恨めしそうに星矢を見上げた。


 翌日、いつものように部活を終えて帰宅した星矢はリビングに琥珀の姿がないので、直子に尋ねた。

「琥珀はどこ?」

「散歩の後、さっさとあんたの部屋に入ってベッドの下に潜り込んだわよ。」

 今日は仕事が休みなので、直子は機嫌がいい。

 琥珀の散歩も余裕を持ってゆっくり行けたし、たまっている掃除や洗濯を片づけて、ちゃんと夕飯が作れるので嬉しそうだ。

 星矢は別に出来合いの総菜でも構わなかったが、外食や買ってきたお総菜は何だか食べてて落ち着かない、と直子は休みや夜勤明けの日は家で作ることにこだわった。

「ふうん。」

 テーブルの上の袋菓子をつまみながら、お母さんがちゃんと作ると言うことはたぶん煮物と焼き魚だな、と星矢はちょっと憂鬱になった。

 無理して作らなくてもいいのに。


 その夜、何かの気配を感じて星矢は目を覚ました。

 熟睡していたはずなのに、妙に意識がはっきりして布団の上に起きあがる。

 そこで星矢は目を疑った。

 ベッドの傍らに、長い髪の裸の女が立っていた。

 女は星矢のタンスの引き出しからTシャツとジーンズを出して身につけているところだった。

「だ、誰?」

 大きな声を出したつもりだったが、小さくかすれた声しか出なかった。

 女は振り返り、一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐにっこりほほえんだ。

 そして、星矢の机の上にある、体育祭で使った紅白のはちまきを手に取り、長い髪を一つにゆわえた。

「これ、借りるね。」

 そして唖然とする星矢を後目にベランダに続く掃き出し窓を開けた。

 そして思い直したように振り返り、星矢のそばまで来ると、そっと星矢のあごを持ち上げた。

 そしていきなり柔らかい何かが星矢の唇を被った。

 一瞬の出来事に、星矢はくらくらした。何も考えられなかった。

 頭の中でパズルゲームのピースが次々と爆発して消えていくようだった。


 気がつくと、女の姿は消えていた。

 やっぱり夢の中か。

 星矢はそのままもう一度ベッドに横たわり、布団をかぶって目を閉じた。

 女の湿った唇の温かさがいつまでも残って、星矢は無意識に指で自分のくちびるをなぞりながら眠りについた。


 翌朝、目が覚めると、ベッドの傍らで琥珀が丸くなっていた。

「おまえ、ちっとも番犬の役目果たしてないじゃん。」

 星矢は昨夜のことが半信半疑のまま、まだ眠そうな目をした琥珀を見つめてつぶやいた。

 リビングに降りると、もうすっかり支度を整えた両親が朝食を食べているところだった。

「ねえ、この家、やっぱり何かいない?」

 また馬鹿にされるかもと思いながら、両親に星矢は切り出した。

「何か変な人影とか見えるんだけど。」

 若い女の幽霊にキスされたなどとは口が裂けても言えない。

 稔は吹き出し、直子は目を丸くした。

「ホラー映画の見過ぎじゃないか?」

 稔は時計をにらんで行ってくるか、とつぶやき玄関へ向かった。

「思春期で精神的に不安定な時期なのよ。」

 直子もいつものように玄関で散歩を待っている琥珀を、あと二十分!と叫びながらあわてて散歩に連れ出した。

 一人で食卓に取り残された星矢は、仕方なく朝食を平らげるといつものように登校した。


 サッカー部の新人戦は何とか一回戦は勝ち進み、まだルールを完全に覚えたばかりの星矢も大きなミスはせずに済んだ。

 だが運悪く二回戦で地域の強豪校に当たってしまい、惨敗した。

 負けたのは悔しかったが、試合に出させてもらったのは嬉しかった。

 三年間気楽なベンチ組さ、と入部したときは思っていたが、ただでさえ部員数が少ない上にサッカーは十一人という大人数が必要なので、そうもいかないようだった。

 あのあと琥珀に

「幽霊でも何でも、不審者を見つけたらちゃんと追い払ってくれよ。」

 と念を押したからか、星矢の前に再びあの女が現れることはなかった。



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