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第2部 Chapter7 <2>

 五月の連休中の夜、家に薫を呼んだ。

 琥珀の供養と星矢たちの入籍祝いということで、琥珀と関わりの深い動物病院の医師の薄井も呼んだ。

 抱瓶のマスターにも声をかけたが、店があるからとあっさり断られてしまった。

「あの時は、本当に助かった。薫さんは僕のお兄さんみたいな大切な人だから、これからもよろしくお願いします。」

 星矢が改まって頭を下げると、薫は照れて困ったように薄井に目を向けた。

「どうしよう、この子、いつまで私にまとわりつく気かしら。」

 星矢の気のせいか、薄井を見つめる薫の顔はほんのり上気している。

「この人は、結局ものすごい寂しがり屋なんですよ。すてきな奥さんだけじゃ足りないのかもしれませんよ。」

 そう言って薄井は笑う。

「そうなの。この子達、ほんとに世話が焼けるのよ。」

 薫はそう言って岬のことも軽くにらむ。岬は笑って肩をすくめた。

「それにしてもあれ、本当にいい絵ですね。」

 薄井が岬の後ろの壁を指さして、しみじみとつぶやいた。

 仏壇の横の壁に、絵はがきほどの小さな絵が額に入れてかけてあった。

 そこには、少年と犬が描かれていた。


 二ヶ月ほど前、まだ星矢が病院にいた頃、リハビリに訪れた増田が一枚の絵を見せてくれた。

 そこには彼の妻の笑顔が描かれていた。

 鉛筆描きの、最小限の太い線だけで構成されているが、無駄のない、的確に対象を捉えた見事なデッサンだった。

「へたくそだろう。でもよく考えてみたら、昔もこんなもんだった。」

 照れて笑う増田に、付き添いの妻が言う。

「この人ねぇ、私を笑わせようとして子供達の小さいころの話をあれこれ持ち出してくるもんだから。ひどい顔でしょう、恥ずかしい。」

 相好を崩して笑い転げているような増田の妻のスケッチからは、描き手の愛情が伝わってくる。

 星矢は増田に頼んだ。

「お願いしてもいいですか。増田さんに描いてもらいたいものがあるんです。」

 そして、パスケースにずっと入れてある中学生の頃琥珀と一緒に撮った写真を渡した。

「以前増田さんにずいぶん偉そうなこと言っちゃったけど、僕なんかこの間こいつに死なれて、ずっとうじうじしてたんです。増田さんにこれ描いてもらったら、元気が出るような気がして。」

 星矢はいつでも手の空いたときでいい、と言ったが、次の通院時には増田はちゃんと描いてきてくれた。

 その絵は写真をモデルにはしていたが、見ていると心がすっかり温まるような、無垢な絆で結ばれた犬と少年が描かれていた。

 犬の首に手を回した少年が耳をなめられてくすぐったそうに目をつぶって笑っている。

 絵の代金を払うと言うと、バカ言うんじゃない、と怒られた。

「描いててこっちもいい気持ちになったよ。先生にもこんな時があったんだなぁ。」

 星矢は素直にありがとうございます、と頭を下げて絵を受け取った。

 増田に描かれたことで、星矢と琥珀を離れてそれは一つの世界になった。

 琥珀の遺影の代わりに、星矢はこの絵をリビングの壁にかけた。


「そういえば、本当のおばあちゃんは、お元気?」

 薫に問われて、星矢はさらりと答えた。

「この間、ホームで亡くなったよ。眠るように静かな最後だった。思い残すことは何もないって顔で、大往生だったよ。」

「幸せねえ。人間誰しもそういうふうに終わりたいものだわね。」

 本当にそうだ、と星矢も頷いた。

「缶チューハイが切れちゃった。買ってこようか。」

 と言う岬を止めて、二階に買い置きがあるからと星矢は一人で階段を上った。


 父と母の部屋は、もう何年も物置と化している。

 そのうちここもきちんと整理しなければならない。

 もうじきこの家はうんと賑やかになる。

 超音波診断の結果、生まれてくるのは双子だとわかった。

 窓の外に、レモン型の月がひさしに隠れて下半分だけ見える。

 今夜は上弦から少し太った十日月あたりか。琥珀のおかげで、月に少しくわしくなった。


「俺が今どんなに幸せか、岬にはわかんないだろう。」

 あの日、渡された母子手帳を握りしめて笑う星矢に、岬は戸惑いながら首を振った。

「たぶん、わからないと思う・・・。」

 いつか、岬にゆっくり話したい。

 どうしてうちのカレンダーが月齢付きなのか、そして、星矢の長い長い初恋の話を。


~終~


長い間おつきあいいただき、ありがとうございました。

無事書き終えることができました。

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