第2部 Chapter 3 <4>
意外にもすがすがしい声の岬に、星矢は少し戸惑った。
「嘘って・・・?」
「星矢君、今夜私の婚約者だったのよ。」
そう言って岬は星矢を見上げていたずらっぽく笑った。
「そんなことだろうと思った。」
星矢も肩をすくめた。
いきなり親戚に引き合わされた上、焼香も岬に次いで二番目だったのだ。
薫や職場の人たちはどう思っただろう。
きっと明日は、衝撃的な噂が職員の間に広まるに違いない。
岬の母親の棺と遺影の前で、岬はことの次第を話し始めた。
「最初、星矢君達が来たとき私が話していた人たちね、母の関わっていた自然保護団体の人たちなの。」
「自然保護団体?」
岬の母の同僚だと思っていた星矢は首を傾げた。
「祖母が代々継いできた土地、あそこは昔国定公園とつながっていたのよ。」
火山を含む広大な国定公園を横切る国道が出来てから、M市は少しずつ開発が進んできた。
開発しやすい田畑に少しずつ住宅が増え、なだらかな丘陵地は、巨大なショッピングモールを含む大規模な開発が始まった。
岬の祖母は、代々受け継いできた自然の豊かな山林を愛し、いつまでもそのまま手つかずにしておきたがった。
そして、岬の母も同じ思いだった。
だが、二人の叔父達は現状維持よりも利益をほしがった。
祖父が亡くなったときに、その違いがはっきりした。
国定公園のすぐそばだ。リゾートホテルを建てたり、ひょっとしたら温泉も出るかもしれない。
使い道はいくらでもありそうだった。
「それで、母はつきあいの深い自然保護団体に相談していたの。何か希少生物が見つかれば、動物、鳥でも植物でも昆虫でもかまわない、そこで自生したり繁殖していることが証明できたら、自治体にもちかけて自然環境保全地域として山林を全て寄付しようって。
私は全然知らなかったけど、祖母が生きている内からそのことはもう決まっていたの。
そして、もう何年もかけて、病気で倒れるまでは母も一緒になって地道な調査を続けていたの。」
ただ寄付するだけでは、山林を守ることにならない。
自治体が開発地域にしてしまったり、民間に払い下げられたら元も子もない。
自然保護のための土地として認めてもらうことが大事だった。
時間はいくらでも必要だった。
「母が亡くなる一週間前に、やっと調査報告書とか、色んな書類がまとまったの。
そして、お母さんはすぐにサインしたの、県に土地全部を寄付する書類に。」
「それで、叔父さん達にその話をしたんだ。」
「もちろん。だから、あの態度、見たでしょう。私はもう用済みっていうわけ。
ああ、もうこれできれいさっぱり、すっきりよ。
あ、星矢君、私一文無しになっちゃうけど、どうする?」
岬は涙ぐみながら笑っていた。
「そうか、じゃあ僕ももう君の彼氏や婚約者のフリをしなくていいわけだ。どうしようかなあ。」
星矢もうそぶいた。岬は星矢の腕の中にすべりこんだ。
「そうよ。フリじゃなくて、やっとこれから本当に始められるんじゃない。」
星矢はそっと岬の肩を抱きしめた。
「すごいがんばったじゃないか。名前負けって言ったの、撤回するよ。」
星矢の胸に顔を埋めた岬から、ようやく押し殺した嗚咽が聞こえてきた。
その夜は二人で、斎場に泊まった。
翌日の告別式には、岬の母の古い友人や、入院前に勤めていた自然食品会社の上司や同僚などがほんの数人訪れただけだった。
実家の近くで執り行えばもしかしたらもう少し多くの人に見送ってもらえたかもしれないが、大して差はなさそうだった。
あまりに寂しいその様子に、星矢はとても途中で抜けることは出来なかった。
母の遺骨を抱いて岬がアパートに戻り、一息ついたのは、午後三時過ぎだった。
「ごめん、一度帰らないと。琥珀が・・・。」
星矢は少し前からずっと琥珀のことが気になっていた。
昨夜は無事に家に帰っただろうか。犬に戻ったら、きっと不自由しているはずだ。
岬は目を見開いた。
「そうだわ。私ったら、自分のことばかりで。琥珀さんのことすっかり忘れて・・・ごめんなさい。」




