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第2部 Chapter 3 <3>

 それからしばらくは、ひたすら仕事に追われた。

勉強会や研修もあったし、来春オープンするいくつかの施設の企画にも参加した。

相変わらず他の施設のアシストに行くことも多かった。

 岬とつきあい始め、さらに彼女の母親を見舞ったことで、星矢の中に漠然と今までにはなかった責任感のようなものが芽生え始めていた。

 年末年始も数日しか休みがなかった。

 そして仕事始めの翌日、突然の訃報が入った。

「ホームの介護の高畑さん、お母さんが亡くなったそうよ。今夜、お通夜だって。」

 薫に言われたのは昼休憩の時だった。

星矢には、朝早く岬から

「今朝五時半、母が亡くなりました。今夜お通夜です。できたら、来てください。」

とメールが来ていた。

 すぐにでも飛んでいきたいところだったが、休み明けなのでいきなり欠勤するわけにはいかない。

何とか残業はせずに、定時に勤務先を飛び出した。

 家に帰って礼服に着替え、振り返るとそこに人の姿の琥珀がたたずんでいた。

(しまった。今夜が満月だなんて、すっかり忘れていた・・・。)

「行っておいで。あの子のとこだろ。そばにいておやり。」

 琥珀はそう言ってテーブルにつかまってよたよた歩きながら、続けてこう言った。

「たまにはちょっと一人で出かけてこようかね。タクシー代とおこづかい、置いといて。」

 琥珀、出かけたかったのか。

こんなに足元もおぼつかないのに、真冬の暗い夜に一人で出かけるなんて。

 だが、星矢も今夜ばかりはゆずれない。

「大丈夫?寒いから、うんと着ていくといいよ。杖、持って。バスじゃ危ないから、行きも家までタクシー呼ぶんだよ。一応、リハパンはいていきなよ。」

「わかってるよ、いちいちうるさいね、この子は。とっとと行っといで!」

 最後にリハビリパンツと言われて、琥珀はむっとしたようだった。

「鍵、かけて行くんだよ。あまり遅くならないで。飲み過ぎちゃだめだよ。」

 まるで小さい子供に言い聞かせるように、何度も振り返りながら星矢は家を飛び出した。

 斎場まで、車で三十分。薫も拾っていくから、少し遠回りになる。


 市内の広い斎場は星矢が両親を見送ったのと同じ場所で、見覚えがあった。

ホテルのようにいくつかの区画に仕切られていて大小様々だが、高畑家と書かれた岬の母の一室は中でも一番小さかった。

それでも広く感じるほど、弔問客は少ない。

 岬の職場からは、星矢と薫の他にホームの施設長と数人の同僚の他、病院の事務長がいた。

 他に中高年の三四人のグループがいた。感じからすると岬の母親の同僚だろうか。

 岬はそのグループの人たちと言葉を交わしていた。

黒いワンピースに身を包み、長い髪は一つに結んで小さくまとめていた。

いつもよりずっと大人っぽく見える。

不自然なつけまつげはもうしていない。すずやかな目元も、薄いひとみの色も、とても岬らしく、はっとするほど美しかった。

 岬は星矢達を見つけると足早に駆け寄り、職場の施設長らと挨拶を交わすとすぐ星矢の手を引いて祭壇の近くの六七人の一団に歩み寄った。

「叔父さん、沢渡さんです。私、この人がいるのでもうすっかり大丈夫ですから。」

 岬はそう言って、挑むように白髪交じりの恰幅の良い男を見つめた。

 星矢は黙って頭を下げたが、その男も回りにいる男女数人も、誰一人として口を開かず、会釈も返さなかった。

以前岬のアパートで見かけた従兄らしい人物もその中に見つけたが、やはり何の表情もない。

(岬、がんばって大波に立ち向かったんだな。)

 星矢はそう思って、岬の手をぎゅっと握り返した。

同僚達のところへ戻ろうとする星矢に、岬が無言でかぶりを振った。

そこで星矢は親戚達と同列に岬と並んで座った。

じきに、僧侶が入ってきて読経が始まった。

目の前に、白木の棺と花に囲まれた岬の母の遺影があった。

若くはつらつとした笑顔だった。

ショートヘアで日に焼けて、登山の時のような服装をしている。

きっとアウトドアが大好きな人だったのだろう。


 焼香を終え、精進料理に軽く手をつけると数少ない参列者は三々五々いなくなった。

薫も、星矢と目が合うと表情は変えずばっちりウインクをして、黙って帰っていった。

 驚いたことに、岬の親戚達も次々と帰っていくのだった。

最後に、岬が星矢を引き合わせた叔父と、もう一人よく似た顔立ちの男が並んで二人の前に立ち、興味なさそうにちらっと星矢を見ると、岬に威圧的な険しい顔で告げた。

「まあ、うちとしても、素性のしれない君を引き受ける必要がなくなったわけだ。それはいいとして、このままでは引き下がらないからね。いろいろ手段はあるんだ。」

 岬は慇懃に一礼して、りんとした声で応えた。

「本日は遠い中、ありがとうございました。明日は私たち二人で大丈夫ですから。皆様にも、よろしくお伝え下さい。」

 二人の叔父は、岬を一瞥するとそのまま何も言わずに斎場を出ていった。

 残されたのは、星矢と岬の二人だけだった。

「あれが身内なの?ずいぶんだね。」

 星矢はあきれて思わずそうつぶやいた。

 自分の親たちの時を思い出すと、あまりにも冷たい仕打ちではないか。

 明日は告別式なのだ。

斎場にはちゃんと宿泊施設も付いている。

ふつうは親戚一同で集まって遅くまで故人の思い出を語り、残された家族を慰め、互いの近況を語り合ったりして絆を確かめ合う。

そのまま一泊して翌日も告別式が終わるまで、都合が付く限りずっと一緒にいるものだ。

 岬は手近な椅子に倒れ込むように座った。

「最後に一矢報いてやるために、またちょっと嘘ついちゃった。」


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