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第2部 Chapter 2 <4>

 とりあえず貴重品と身の回りの物をスーツケースに詰めて、岬はアパートを後にした。

 途中のコンビニで、翌朝の朝食とビールや缶チューハイとつまみの菓子も見繕って買って家路につく頃は、岬もすっかりいつもの落ち着きを取り戻し、他愛もない世間話や職場の話をするようになっていた。


 星矢の家に帰り、リビングの灯りをつけると、いつものようにソファの足元で琥珀が起きあがった。

「沢渡さん・・・。犬と暮らしてるんですか。」

 岬が静かにつぶやいた。初めての反応だな、と星矢は思った。

 今までだって、彼女がいなかったわけではない。家に連れてきたことだって何度かある。

 初めて琥珀を見たときの女の子の反応はだいたい二つに分かれた。

「きゃっ、犬?」か、「わあ、犬!」。

 好き嫌いどちらにしろ、大げさにきゃあきゃあ反応し、琥珀は迷惑そうにぷいとそっぽをむいたものだった。

 だが、岬の態度は違った。

 そっと琥珀に歩み寄り、琥珀の前にひざまづくと、静かな声で

「こんばんは。高畑岬と申します。少しの間こちらでお世話になります。」

 と言ったのだった。

 琥珀は立ち上がり、琥珀の頭から肩にかけてゆっくりにおいをかぐと、納得したように再びうずくまった。

「君って・・・変わってるね。」

 そう言いながら、星矢はもう完全に岬の虜になっていた。

「そうですか?私、小型犬はただかわいいなって思うだけだけど、このひとのような・・・そう言えば、名前はなんて?」

「琥珀。」

「すてきな名前。琥珀さんのような、古いタイプの犬は、とても、なんて言うか、尊いもののように思うんです。子供の頃からそう。もしかして、前世は犬だったのかも、私。」

 そう言って岬は照れたように笑った。

 

 翌朝、星矢は香ばしいコーヒーの香りで目が覚めた。

 岬は先に起きて、朝食を用意していた。

 ベーコンと卵の焼けるにおいが鼻をくすぐる。

 両親の仏壇からは、線香のにおいがした。水も取り替えてくれたようだ。

 二人で朝の食卓を囲んだ。

 リビングのソファの横では、いつものように琥珀がくつろいで丸くなっている。

「沢渡さんて・・・。」

「星矢でいいよ。」

「星矢さんて・・・。」

「だから星矢でいいって。」

「星矢君って、どうして星の矢っていう名前なの。」

 ついに君づけで落ち着いたか。

 星矢は昔両親から聞いた、流星群の話をした。

「すてき。ご両親、ロマンチストな方だったんですね。」

 岬はまぶしそうに星矢を見上げてほほえんだ。

 つけまつげをはずした岬は別人のようだった。

 こっちの方がよっぽどいい。栗色の瞳に見つめられて、星矢はどきどきした。

「岬は?どうして、海の先に突き出た陸地の岬なの。」

 星矢も前から聞きたいと思っていたことを尋ねた。

「私、南の小さな島で生まれたの。

 私が生まれたとき、台風で、産院の窓から大荒れの海が見えたんだって。

 それで、ものすごい波が固まりになって岬にどんどん打ち付けてくるのを見て、母が、なんて強いんだろう、こんなに破壊的なものに打たれてびくともしないで立っているって感動して、強い子に育つように岬、って。」

「名前負けじゃないの?」

 星矢はつい茶々を入れた。

「ひどい。大波に打たれてる岬だって、本当は泣きながら、どこへも逃げられなくて、仕方がないからがんばって立っているのかもしれないじゃない。」

「それはそうだ。」

 星矢はほほえんだ。

 今日は夜勤なので、岬は母親の面会時間まで余裕があった。

 琥珀の朝の散歩を簡単に済ませると、使わずに余っていた家の鍵を岬に渡して星矢は家を出た。

 後で隣町に住む大家さんに従兄にアパートの部屋の鍵を渡さないよう電話で頼むと、そんな話は聞いていないと言われたらしい。

 昨夜は星矢を牽制して、でまかせを言っていたのだろう。

 念のため、もし言ってきても絶対に渡さないように頼んだ。

 いずれにしろ、岬はしばらくアパートに戻る気はなかった。


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