第2部 Chapter 2 <3>
「さっき家に帰ってみたら、またドアの前にいて、帰る気がしなくて。
こんな話、信じてもらえるか心配だったけど、もう一人で抱え込んでいるのは限界だったんです。」
星矢はため息をついた。自分はどうやらよけいなことをしてしまったらしい。
いや、あまり立ち入るのは悪いからと、事務的に病院だけ紹介したのが良くなかった。どうせならもう少し親身に相談にのってやればよかった。
「本当にずうずうしいお願いなんですけど、今から一緒にアパートに来てくれませんか。
それでもし会うようだったら・・・、つきあっている彼氏のフリして欲しいんです。」
フリか。フリね。星矢はちょっとがっかりした。だが仕方がない。
「それは構わないけど。でも、彼氏がいるって言えば、叔父さんたちはあきらめてくれるのかな。」
「わかりません。でも、病気で身動きの取れない母親と世間知らずの娘だけだから、甘く見てると思うんです。私の身辺に男の人の影でも見えたら少しは用心するかと思って。他に、良さそうな考えが浮かばないんです。
さっき、もうみじめで何もかも嫌になって、行くところがないからホームに戻って、ふと思ったんです。もし、沢渡さんがいたら、話を聞いてもらって、協力をお願いしようって。そしたら、病院からちょうど沢渡さんが出てきて・・・。」
岬は声を詰まらせた。
「沢渡さんがあんまりタイミング良く出てきたから、決心したんです。思い切って全部話してみようって。」
ずいぶん前に、同じようなことを言われたのを星矢は思い出す。
『ねえ、私のこと、わかってくれる?信じてくれる?』
あの日から、琥珀との満月の夜が始まった。
目の前の岬の長い髪とあの頃の琥珀がだぶって、星矢は胸が高鳴った。
「わかった。これから君のアパートに一緒に行こう。」
ありがとうございます、とほっとしたように岬は頭を下げた。
まだ鼻をつまらせながら赤い顔をしている岬からは、いつもの明るさはすっかり消えていた。
ファミレスを出て、しばらく続く繁華街の途中で細い路地を入った袋小路には、アパートや小さな雑居ビルがごちゃごちゃと立ち並んでいた。
街灯は薄暗く、人通りも少ない。
岬が立ち止まった。岬の視線を追うと、二階建てのアパートの階段の下にこれ見よがしに黒のベンツが停めてあり、ドアに背をもたせかけてめがねをかけた男が一人立っていた。
うつむいて煙草をくゆらせながらスマートフォンをいじっているその男は、やや猫背のずんぐりした体型で、ハイネックのシャツにグレーのツイードジャケットを羽織り、四十前後に見える。
「岬?」
男は吸っていた煙草を無造作に地面に投げ捨てると、親しげな笑みを浮かべて近寄ってきた。
「いい加減にしてください。今度来たら、警察に訴えます。それでもいいですか?」
岬の声は鋭かったが、星矢にしっかりすがりついた腕は震えている。
「言ったって無駄だよ、身内なんだから。ここの大家さんにもさっき挨拶してきたところさ。
今度合い鍵ももらうことになってるから、次からは中で待たせてもらうよ。
今日はとりあえず帰るけど、親父からもまた電話する。」
男はにこにこ笑っているが、言っていることが非常識だ。
値踏みするようにちらっと星矢を横目で見ると、それ以上は何も言わず、あっさり車に乗り込んで勢いよくドアを閉めてエンジンをかけた。
「なんか、脅しっぽい言い方だな。」
走り去る車を見送りながら、星矢は男に確かにうさんくさいものを感じた。
「とりあえず叔父さん達が何か言ってきたら、僕の名前も連絡先も出していいから。もとはといえば、僕が教えたホスピス病棟のことでこんなことになっちゃったんだし。」
合い鍵、と言われて呆然としている岬がアパートに戻るのを躊躇しているのを見て、星矢は提案した。
「良かったらしばらくうちに泊まれば?部屋は余裕あるから。」
「ほんとですか。ありがとうございます。」
岬は一も二もなくうなずく。
弱みにつけ込んだんじゃないぞ、と星矢は自分に言い訳をする。
薫だって時々泊まりに来るんだし。
二階の自分の部屋を提供して、自分はリビングで琥珀とごろ寝しよう、と星矢は思った。




