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第2部 Chapter 1 <5>

 職員は、施設入所者の昼食の残りを割安で食べられる。

 ふだん家で料理をしない星矢は、栄養のバランスを考えた施設の食事を機会があればなるべく食べるようにしていた。

 苦手だった煮物も、今ではふつうに口にするようになった。

 母の直子が生きていたときに、もっと食べれば良かったな、と時々後悔する。

 ホームの食堂で入所者の傍らの席に座って昼食をとりながら、久しぶりに会う入所者達の名前と症状を頭の中で復習する。

 病院勤務の時と違って、一対一じゃないからプログラムを組むのは難しい。

 やっぱり手足を使った体操かな。ワンパターンではつまらないが、入所者の大半は認知症だからもしかして毎日同じことをやっていても気づかないかもしれない。

 そんな思いを振り払い、やっぱり少しでも違うことを取り入れてみようと思う。

 みんながみんな、同じじゃないんだ。

 そして星矢は午前中の患者の一人を思いだしていた。

 その患者は六十代後半の増田という男性で、急性クモ膜下出血で一命は取り留めたものの、利き手側の右半身に麻痺が残ってしまった。

 急性期が過ぎ、自宅に戻るまでの機能訓練期間として病院から同じ敷地内の老人保健施設に入所したが、そのころから星矢が担当してきた。

 初めは大人しく穏やかな患者だと思っていたが、本人が期待していたようなリハビリ効果が得られず、だんだん自暴自棄になって体調不良を訴えてはリハビリも休みがちになり、面会の家族や病院の職員にも時々暴言を吐いたりずさんな態度を取ることが目立ってきていた。

 ある日星矢がいつものように歩行訓練に立ち会っていると、

「どいつもこいつも嘘ばっかつきやがって。すぐに良くなりますよ、なんて、気休めなら最初から言うんじゃねえよ。」

 と、ぼそっとつぶやいた。

 確かに、無責任な慰めの言葉かけをして終わり、という人もいるのだろうと思い、

「うーん、確かにそうですねえ。」

 と否定せずに聞いていると、

「こんなになるんだったら、あのまま死んじまえば良かったんだよ。」

 と言い出した。

 それだけは言ってくれるな、と星矢はわき起こる感情をぐっとこらえた。

 星矢が黙っていると増田はさらに、

「なぁ、先生もそう思うだろ。先生ったってあんた若いから、息子みたいなもんだけどよう。」

 とからんできた。

 星矢は軽く笑って、

「若輩者ですみません。でも、出来る限りのお手伝いはさせていただきたいと思っています。」

 とマニュアル通りの対応をするしかなかった。

 すると増田はその言い方が気に入らなかったのか、

「あんたそんな風にきれいごと言ってるけど、こうしてオレについてんのは仕事だからだろう、金もらえるからだろう。どうせ無駄だってわかってるくせに。」

 とさらにけんかをふっかけてきた。

 さすがに星矢もうんざりして、そんなら買ってやろうじゃないかと開き直った。

 そして、増田にこう言ったのだ。

「確かにぼくのやっていることはあなたの気に入らないことかもしれませんけど、ぼくはぼくなりに本気であなたの役に立とうとしているつもりです。

 そんなに死にたかったですか?ぼくは生きてて欲しかったです、あなたと同じ病気で母をなくしました、ぼくが中学生の時に。

 たとえ身体の半分が動かなくなったとしても、いて欲しかったです。家族なんですから。あなたのご家族も同じ思いじゃないですか。」

 一気に言ってしまってから、しまった、と思った。

 ちょっと言い過ぎた。職員が自分のプライベートをネタに患者に感情的に接するなんて。

 回りに他の職員も患者もいたので、気まずくなり黙ってうつむいた星矢だった。 だが、増田は意外にも動く方の手をぎこちなく星矢の肩にかけ、

「悪かったな。」

 と、ぼそっとつぶやいた。

「先生の母ちゃんの分も、がんばってやるとするか。」

 そう言って自分から歩行訓練を再開した増田に、星矢は内心ほっとして、何事もなかったように付き添いを続けたのだった。

 それ以来、少しずつ増田の態度は変わった。

 我慢強くなり、今怒鳴りたいんだな、という場面でも口をすぼめて二三度大きく息をして怒鳴る代わりにため息をつくか、笑うようになった。

 そして先月、半年間の入所を終えて自宅に戻り、月に二回、再診とリハビリに病院の方に通ってきている。

 今日の午前中に会った増田は、ずいぶん顔色もよく元気そうだった。

 やはり自宅に戻ったのが良かったようだ。

 精神的にもずいぶん安定して、本来の増田の朗らかさを取り戻したようだった。


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