第1部 Chapter 5 <2>
いろいろなことが、星矢の前をただ流れていった。
直子の遺体は病院からそのまま斎場に搬送された。
稔はいろいろな手続きや連絡に追われ、あちこちから親戚がやってきた。
あっという間に直子の肉体は消えてしまった。
焼き場で稔と骨を拾っていても、星矢にはこれが母なのだという実感は全くわかず、大がかりなたちの悪い冗談にしか思えなかった。
直子はクモ膜下出血だった。夕日の丘のベンチで、倒れて意識を失っていた。
リードをつけたままの琥珀が、通りがかりの人に何度も吠えて知らせたそうだ。
急を告げる電話は何度も鳴っていたはずだが、熟睡していた星矢は全く気づかずぐっすり寝入っていた。
知らせを受けて病院へ駆けつけた稔が一向に連絡が取れないのでいったん自宅に戻り、星矢を連れて戻ったときには、直子はもう帰らぬ人となっていた。
あっという間に夏休みに入った。
毎日塾の夏期講習があった。目の前に練習問題が広げられると、そのときは集中して問題を解くことが出来た。
あれ以来、感情が抜け落ちていた。疲れたとか、退屈だとか、何か他のことをしたい、というような欲求がわいてこない。
勉強をしていると、何となくほっとした。
仕事で忙しかった直子の不在には慣れていた。
だから、日々の生活はあまり変わらなかった。
食事は塾の行き帰りにコンビニやスーパーで買って食べた。
稔は相変わらずほとんど家にいないし、たまに星矢と顔を合わせることがあってもどこか上の空で、あまり会話が続かなかった。
家の中はいつも、気味が悪いほど静かだった。
琥珀の世話だけが、星矢に生活を感じさせるひとときだった。
朝晩、散歩に連れて行く。えさをやり、水をとりかえてやる。
それは、星矢にとって直子への償いの儀式のようなものだった。
「ねえ、夕日の丘に行こう。」
満月の夜、琥珀が星矢を誘った。
「うん、そうだね。」
星矢はぼんやりうなづいた。
直子の死後、初めての満月だった。
夜の道を二人で並んで歩きながら、琥珀は黙ったままの星矢にはかまわずに、夜になってもせみがうるさいね、とか、昨日雨が降ったからまだむっとしてるね、などと明るく話しかけてきた。
丘に着くと、二人は直子が倒れていたというベンチに座った。
これを見るのが怖くて、星矢はあれから一度も夕日の丘には来ていなかった。
今こうして月の光の下で見ると、それは不思議なほどふつうの古びた木のベンチだった。
きっとあれからもたくさんの人が座ったのだろう。
母がどんなに苦しんだかと一瞬思い、星矢はあわててその考えを振り払った。
そういえば、あの日はどうやって琥珀は家に帰ったんだろう。
一人で帰って、一人でずっと大人しく待っていたのか。通夜から告別式の間中ずっと・・・。
星矢が尋ねようとすると、琥珀がしみじみつぶやいた。
「この間の満月はお母さんと一緒だったのに。何だか信じられない。」
琥珀の言葉をそのまま聞き流そうとして、星矢はえっと驚いて琥珀を見た。




