第1部 Chapter 3 <6>
神社を参拝して少し休んでから、下りは直子も一緒に再び階段を下りて稔と落ち合い、駐車場まで一時間ほど家族三人で歩いた。
琥珀は先頭に立ってはつらつと歩き、行きと同様、道行く人たちの注目を集めていた。
キャンプ場へ向かう途中、外にテーブルがある山小屋風のレストランで昼食を取っていると、赤いつなぎを着た一人の青年が近づいてきて軽く会釈し、テーブルの下で大人しく座っている琥珀をしゃがんでじっと見た。
「いい犬ですね。」
その日何度目かのほめ言葉に、稔も直子も慣れきった笑顔を見せていたが、星矢は何となく警戒心を解くことが出来なかった。
ここに来てからずっと、琥珀の元いた研究施設の誰かが琥珀に目をつけて、強引に連れ去ろうとしたらどうしよう、という心配が頭から離れなかった。
何があっても、絶対琥珀を守ってやらなくちゃ。
琥珀を見ると、特に警戒する様子もなくどてっと寝そべったままだった。
髪を短く刈り込んでいい色に日焼けしたその青年は、琥珀の前足と後ろ足を確認して星矢達に言った。
「ほら、これ、ふつうの犬より一本指が多いでしょう。足の上の方に、おまけのようについている・・・。」
そう言って星矢に琥珀の前足を裏返して見せた。
星矢は全く気づいていなかったが、確かに足の関節に近いところに、なんのためにあるのかわからない指が一本あった。
「これは、ロウソウと言って、オオカミだったときの名残なんです。高い崖をすべらずに上れるように、こんなところに付いているんですよ。」
稔も直子も、興味深そうに身を乗り出してきた。
「前と後ろ四本全部残っているのは、珍しい。
ふつうは先祖返りでも一本か二本だけなんですけどね。
ペットショップの犬なんかは、じゃまだからって生まれてすぐに切り取ってしまうんですよ。」
「まあ、あると困ることでもあるんですか。」
直子がちょっと心配そうに尋ねた。
「別に困りはしませんが、爪は切ってやった方がいいな。
ほら、伸びきって巻いているでしょう。
何かの拍子に割れたりすると面倒ですから。」
琥珀は大人しくされるままになっていたが、時々あくびを何度もした。
星矢は琥珀の爪を確かめた。
彼の言うとおり、三、四センチほど伸びた爪がカーブして肉球に少し食い込んでいた。
「ずいぶん、詳しいんですね。」
稔が感心して青年を見つめた。
「僕、獣医の卵なんですよ。まだ学生です。」
青年は笑って言った。
星矢はそれを聞いてやっと体の緊張を解いた。
考え過ぎだったかと思うと、きまりが悪かった。
いったん警戒を解くと、うさんくさく見えた青年が急にいい人に見えてきたから不思議だ。
「君も犬、飼ってるの?」
稔が尋ねた。
「家に一匹います。もうずいぶん年寄りですが、元気ですよ。
今日も連れてきてやれれば良かったのですが、バイクなので連れて来られなくて。」
青年の家は星矢達の住む隣の市だった。
それを聞くと、直子と稔は一気に青年とうち解けた。
「獣医さんになったら、お世話になることもあるかもしれませんね。勉強、がんばって。」
そう言って、稔は別れ際に青年と握手を交わした。




