第1部 Chapter 3 <2>
「こっちに来てから何度か一人で町を探検したけど、こういうところは慣れてないからちょっと一人じゃ来る気になれなかったの。星矢が一緒で良かった。」
駅前に着くと、琥珀は星矢の腕をぐいぐい引っ張って、ゲームセンターや百円ショップや居酒屋の並ぶ夜の街を目を輝かせて見て回った。
星矢も何度か暗くなってから駅前を歩いたことはあるが、細い路地を入ったことはなかったし、見たことのない間口の狭い店や雑居ビルが色とりどりのネオンで飾り立てているのを見るのは初めてで、何だか落ち着かない。
見た目というのは、けっこう人の心を支配する。
星矢は、自分よりずっと年上に見える今の琥珀にあまり強気に出られず、琥珀に従ってほとんど言いなりで歩いた。
いつもと立場が逆だ。琥珀に心細さを悟られまいとなるべく顔を上げて歩いた。
すらりと手足が長く色白で、腰までの長い髪を無造作に垂らした琥珀は、人目を引いた。
時々、若い男の子のグループに声をかけられることもあった。
琥珀はまんざらでもないようににっこり手を振って答えたりした。
でも、隣にまだ子供の星矢がいるので、彼らもそれ以上は誘ってこなかった。
「ねえ、ああいうところって入ったことある?」
琥珀が指さした先に、「抱瓶」と手書きののれんがかかった小さな店があった。こういうところは、星矢は親と一緒でも入ったことがなかった。
「たぶんあそこは、お酒を飲むところだよ。子供は入れないの。」
「お酒って?おいしいの?」
「知らないよ。大人は好きみたいだよ。」
琥珀の目がきらりと光った。
「私、大人に見える?」
「そりゃあ、まあ・・・。」
星矢は琥珀の全身を見回した。確かに、二〇才は過ぎているように見える。
化粧をしていないので子供っぽく見えなくもないが、中学生や高校生には見えない。
「大人が一緒なら子供も入っていいのよね。」
琥珀はすでに、居酒屋ののれんにすっかり引きつけられているようだった。
「お金がいるよ。ぼく、そんなに持ってない。」
星矢が言うと、琥珀はがっかりしたらしく、肩を落として未練たらしく居酒屋の入り口を見つめた。
「おねえちゃん、おごってやろうか?」
まるで一部始終を見ていたように、タイミング良く誰かが後ろから声をかけてきた。
振り返ると、頭のてっぺんが幾分薄くなった中年のおじさんが一人、こちらに手を挙げていた。
「ほんと?この子も一緒だけど、いい?」
「いいよ、おじさんがごちそうしてあげる。」
星矢はあわてて琥珀の手をぐいっと引いて止めたが、琥珀はにこにこしておじさんの後について、のれんをくぐってしまった。
仕方なく、星矢も店に入った。
薄暗い店内には、厨房を囲む六七席ほどのカウンターと、小さなテーブル席が二つだけしかなかった。
客はすでに五六人いて、星矢達三人が入るともう店はいっぱいだった。
「らっしゃい。」
と、小さなカウンターの奥から低い声がした。
カウンターの内側に、白いTシャツを着た筋肉質の浅黒い肌の小柄な男の人が一人だけいた。 父の稔よりは若そうに見える。
おじさんは常連なのか、さっさとカウンターに座った。
「マスター、冷や一杯。おねえちゃん、何がいいの?」
おじさんはカウンターで働いている彼をマスター、と呼んだ。
聞き慣れない言葉に星矢は首を傾げたが、店の他の客達もみんな口々に彼をマスターと呼ぶ。どうやらこの店では、それで通っているらしい。
「私、お酒初めてなの。何がおいしい?おじさん、決めてよ。」
琥珀は初対面の見知らぬ相手に、警戒心のかけらもなく、無防備だ。
星矢はさりげなく店内を見渡した。
席は入り口に近いから、いざとなったら琥珀の手を引いて逃げ出すことが出来そうだ。
「初めてなの?じゃあ、とりあえずビール、でいいかな。弟君は、コーラ?それともジュースがいいかな。」
「星矢はコーラが好きよね、ね?」
取りなすように琥珀が畳みかけ、星矢は薄笑いを浮かべて曖昧に頷いた。
ファミレスやファーストフード店ぐらいしか入ったことのない星矢には、この店の狭くて薄暗い、煙草と酒のにおいに満ちた空間が異世界に見えた。
居心地の悪さが、冷や汗になって星矢の背中を流れた。
このおじさんは、ひょっとして琥珀の身体を狙っているんじゃないかと心配になった。
テレビドラマで見たいくつかのシーンが目の前をよぎる。
星矢は思わず生唾を飲み込んだ。
何とか、琥珀の身を守らなければ。
でも、そんなこと、自分に出来るだろうか。




