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第1部 Chapter 3 <1>

 夏休みに入り、時間に少し余裕が出来ると、星矢は以前住んでいた町の懐かしい友達と遊ぶ機会も増えた。

 家に呼んで琥珀を見せると、団地住まいの彼らはみんな琥珀を見てうらやましがった。

 動物飼育禁止の団地内でもこっそり犬を飼っている人もいるにはいたが、皆チワワやミニチュアダックスなど小さい犬ばかりだったから、琥珀のような大きくて昔ながらの風貌の犬はふだん目にすることもほとんどないのだった。

 中でも以前住んでいた団地で隣同士だった幼なじみの裕太は、「こいつ本当にいい犬だなぁ。」と、琥珀をすっかり気に入った。

 琥珀も自分を気に入ってくれる人はわかるようで、すぐに裕太になついた。

 やがて星矢が出かけるときは、琥珀も一緒に連れて行くことが多くなった。

 琥珀はリードにつながれたまま、星矢の自転車の脇を悠々と走って着いてきた。

 星矢達が公園で遊んでいる間は、木の下につながれて大人しく何時間でも待っていた。

 家の中で一人でいるよりは、嬉しいに違いない。

 星矢も朝夕の散歩がいっぺんに済んで楽だった。

 しかもみんなが羨ましがる。すらりと足の長いかっこいい姿に、道行く人も振り返る。うるさく吠えたりもしない。

 琥珀は完璧だった。犬の時は。


 そして、次の満月の夜がやってきた。

 直子は夜勤で、稔はいつものように日付が変わる頃帰ってくる。

 日が暮れて月が出ると、いつの間にかちゃっかり直子の服を着た琥珀が、リビングでにこにこ笑っていた。

 明るい蛍光灯の下ではっきり見ると、琥珀はかなり美人だった。

 ゆるやかなウェーブを描く豊かな枯葉色の髪、長いまつげ、すっきり通った鼻筋、とがったあご、くぼんだ首筋、そしてぱっちりした琥珀色の瞳。

 この瞳の色がなければ、とても琥珀とは信じがたかった。

 時間がたつにつれ、やっぱり夢だったのだと思いかけていた星矢は、非現実のような現実に引き戻された。

 こうなったらもう仕方がない、今はこの現実を受け入れよう。

 星矢は腹を決めた。

 リビングとキッチンの間に置かれたダイニングテーブルで、琥珀は当たり前の顔をして星矢と向かい合って嬉しそうに母の作り置きした夕飯のカレーライスを食べた。

「いいの?犬のくせにカレーなんか食べちゃって。」

 心配する星矢に、琥珀はすまして答えた。

「大丈夫、人間の時は内臓もちゃんと人間だから。」

 そして、ここぞとばかりに星矢にふだんの生活のことに注文をつけてきた。

「私たちはね、においが世界の入り口なの。

 においをかぐことで、自分の回りにどんな世界が広がっているかを知るのよ。

 草や木や、土のにおいをかいで季節を知ったり、鳥の糞や羽のにおいをかいで空を渡る風や太陽の輝きを知るの。

 だから、私が散歩の時ににおいをかいでいるのを、あまりじゃましないで欲しいの。」

「そうなの?夢中でかいでるのはたいてい他の犬のオシッコの跡か、ウンチじゃないか。」

 星矢が言うと、琥珀は眉をつり上げた。

「星矢だって、ゲームで夢中になってるときにお母さんがご飯よって呼んでも、なかなかやめないじゃない。それと同じよ。」

 犬のくせに理屈っぽいなあ、と星矢は肩をすくめた。

 何だかお姉ちゃんに叱られている弟みたいだ。僕の方が年上なのに・・・。

「ブラッシングは嫌いじゃないけど、あんまり奥までガッてやられると、地肌が痛いのよね。

 そんなに力を入れなくていいから、あと目のそばはこわいからやめてね。

 それと、わかってると思うけどシャワーは嫌いだから絶対やめてよ。

 散歩のあとで足を拭くときは、あんまり関節をぐりぐりしないでよね。

 それから水は器に入ってればいいってもんじゃないの。

 私はあなたたちより鼻が利くんだから、ちゃんとごはんのたびに入れ替えてくれないと。くさい水を飲むほど嫌なことはないわ。」

 琥珀の要求は細かい。人間の姿で言われると、だったら自分でやればと言いたくなってくる。

 星矢の方でもいくらでも聞きたいことがあった。

「ねえ、どうして満月の夜だけなの?

 昼間は人間にならないの?

 雨の日で、月が出てなくても人間になるの?

 ずっと家の中にいて、月の光を浴びなくても人間になるの?

 ふだん犬の時も人間の言葉がわかるの?」

 矢継ぎ早に質問をしてくる星矢に琥珀は面倒くさそうに答える。

「そんなのわからない。自分でなりたくてなってるわけじゃないから。

 雨の日は覚えてないけど、同じじゃない?家の中って、今だってそうでしょ。

 犬の時も人間の言葉はなんとなくわかるけど、頭の中は今よりずっとぼんやりしていて、記憶もあまりない。

 ・・・そんな難しいことより、ねえ、せっかくだから駅前の賑やかなところに行きましょ。」

 琥珀は身を乗り出して星矢を誘った。

 時計は九時を回っている。

 歩いては行けるが家は駅から遠く、特に機会もないので星矢はまだ夜の駅前の繁華街へ足を運んだことはなかった。

 そう言われると、星矢も興味がないことはない。

 大人に見える琥珀が一緒だからまあいいかと思い、なけなしのこづかいを持って二十分ほどの道のりを歩いて出かけることにした。


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