4 白い夜明け
久蔵は命がけでたえをかばった。身代わりに死ぬはずだった久蔵を救ったのは、敵とも味方ともしれないアイヌの狩人、カンリリカの毒矢の力だった。
死を覚悟で狼と自分の間に飛び込んできた久蔵に、女は激しく動揺していた。久蔵は、凍りついた女の心に、それとは気づかぬまま、かすかなヒビを入れたのだった。
気がつくと、空はすっかり白んでいた。白骨のような白樺の枝が空にむかって手を伸ばしている。鹿たちがねぐらから出てきて、食べられるものを探してうろつきはじめる。雪は降り止まない。
「このあたりは危ないところだ。夜も昼も。家はどこなのだ。帰るのなら、俺が送っていく」
女は、無表情に久蔵を見返した。
「家はない。帰る場所もない」
「親はいないのか」
「母は役人に殺された。きりしたんだったらしい。父がどうなったのかは知らない。名前も、そもそも何者だったのかも、私は知らない」
「そうか」
「私はべつに、自分がどうなろうとかまわない。だからおまえも、私にかかわるな。知らん奴に身代わりに死なれても、ありがたくなんかない。後味がわるいだけだ」
「父御に、会いたくはないのか」
女は答えなかった。少し足を引きずりながら、まだ風の止まない雪の森の中に、歩き出そうとした。
「おまえの大事に握っていた木像、あの中に、折りたたんだ紙が入っていた。俺には文字は読めないが、あれは文ではないのか」
「それがどうした。私だって字なんか読めない」
「俺の知っているある人なら、きっと読んでくれる。あの木像が何かは知らないが、もしかしたら、何か、おまえの助けになることが書いてあるんじゃないのか」
女は立ち止まって空を見上げた。雲が低く垂れ込めた、絶え間なく雪の飛びすぎていく空だった。うつむいて、やがて言った。
「あれは、私のものじゃないんだ」
その声に、初めて感情らしいものがのぞいた。
「私が石崎というところで、赤の他人に養われていたころだ。金掘りの三郎という男が来た。ひさという女、つまり私の母を探していると言ってな。私に気づいて、私が探している女の娘だと知って、これをくれた。父からだ、と言ってな。その男によれば、父は遠いところにいて、私が生まれていることすら知らなかったらしい。だから、これはほんとうは私のものじゃない。私への気持ちなどひとかけらも含まれていない、私にはかかわりのないものだ。でも、どうしてだろうな、金掘りの男達がこれに気づいて、しつこく私から取り上げようとしたとき、どうしても渡したくないと思ったんだ。私は心の無い人形だ、ずっとそう思って生きていたのにな、そのときだけは、嫌だと、はっきり思ったんだ」
「おまえ、名前は」
「たえ。だがそんなことを知ってどうする。私はおまえに何の用も無いぞ」
「俺は久蔵という。たえ、俺と一緒に来い。行者様が、きっとおまえを助けてくれるだろう」