2 砂金の女
金掘りたちはその生業のために山を崩し、森の木を切り、川を汚す。ありのままの自然を必要とする鷹待ちとは最初から利害の対立があった。久蔵が彼らの一人を殺したときも、深い考えなどなかった。この世界では、いつでも起こりうることだった。久蔵は知らなかった。女が何者なのかも、何のために追われていたのかも。ともかくも、一人の女が、毒矢のために死にかけている。その命を救おうとしている今も、久蔵には深い考えはなかった。後先を考えて生きることなど、この蝦夷地に渡ってくるずっとまえにやめてしまっていた。助けたいと思ったから助けた、ただ、それだけのことだった。
久蔵がねぐらとしていたのは、主のいなくなった熊穴であった。二股になった木の根の間を入り口として、地下を掘って作られたその空間は、強烈な獣臭がこもっていたが、それゆえに熊を恐れる動物達を寄せ付けず、ために、狩人の目に触れることもまぬがれていた。
天井は低いが、大人二人が横たわれる程には広い。
女を寝かせ、木炭を砕いたものをすりつぶしながら、その容態を見守っていた。
異相の女である。額がひいで、鼻筋がまっすぐに通り、目の周りが落ち窪んで見える。アイヌの相貌に似ているが、この歳のアイヌの娘なら必ずあるはずの、口もとの刺青が見当たらなかった。
傷ついた手首には、鎖の跡があった。服の裂け目のどこからも、殴打を受けた様子がかいまみえた。
呼吸は相変わらず浅く速い。肌も、青みがかって見えるほどに色が悪い。矢で射られてから毒を吸い出すまでに間が空きすぎた。毒はきっと全身にまわっている。それでもまだ女が死んでいないのは、矢毒が殺すためのものでなく、生きたまま捕らえるために薄めたものであったからだろう。
女の顔には、湯がたぎっているかのような汗の玉が浮かんでいる。
目を閉じているが、眠ってはいない。眠れるものではない。
「気分はどうだ」
呼びかけると、かすかにまぶたが動いた。
肩に手をまわし、上体を抱き起こした。すり鉢に水をそそぎ、かきまぜ、女の口元にもっていく。女は目を見開き、眉を寄せ、久蔵の目を見た。
「身体から毒を抜くためのものだ。我慢して飲め」
しばらくためらっていたが、女はやがて小さくうなずいた。鉢を傾けると、きつく目をとじて飲み込んでいった。
再び女を寝かせ、その手をとり、木像を握らせた。
匕首で切りつけられるまで、何度殴られても離そうとしなかったあの木像だ。真っ二つに割れていたものを、ろうで継ぎ合わせて直した。中に入っていたものも、可能なかぎり元に戻した。子安観音、というものだろうか。赤子を抱いた女を刻んだ像だった。
木像は、女の手の中から滑り落ちた。指がまだ麻痺したままだったのだろう。
女は唇を噛み、肩を震わせ、目をきつく閉じた。泣いているのかと思ったが、いつまでも光るものは見えなかった。
木像を拾い上げ、女の手の中に押し込み、その手を包むように握った。しばらくそうしていた。
「何故、声を上げなかった」
気になっていたことを、尋ねた。
「逃げているとき、何故大声を上げて助けを求めなかった。そうしていれば、俺はもっと早く気づけた。毒矢を受けるまえに、援けられたかもしれないのだ」
「叫んだって、たすけなんか来ない」
ぽつりと、零れ落ちるような女のつぶやきだった。
「俺はいた」
「そんなこと、どうして私にわかる」
まあ、それはそうか、と納得しそうになったが、続いた女の言葉は、石つぶてのように久蔵を打った。
「おまえが私の味方かどうか、今だって私にはわからない」