プロローグ
江戸時代の話ですが、史実はほとんどからまない、というか、わりと嘘ばっかり書いてますので、歴史に詳しくなくても大丈夫です。なんなら、プロローグは飛ばして第1話から読んでいただいてもOK。
慶長十七年に禁教令が幕府によって発された後も、松前藩はキリシタンたちに対して寛容であった。ゴールドラッシュのさなかであった当時の蝦夷地には、数万の単位で金掘りたちが押し寄せており、その中には迫害を逃れたキリシタン門徒たちも数多く紛れ込んでいた。しかし彼らは厳しい詮議を受けることもなく、大千軒岳の金山に密かなコミュニティを築き、信仰を守り続けていた。
しかし、寛永十四年の島原の乱を境に状況は一変する。二年後のある夏の日、大千軒岳で五十人が処刑された。大沢にて同数が斬首され、これを逃れた六人も、上の国石崎で捕らえられ、その場で処刑された。
同日夕刻、石崎村農民蔵六の家のかまどから、二歳ほどの娘が発見される。娘は「たえ」と名づけられ、十一年間、人別帖に名を記されないまま、その家で密かに養われ続ける。
蔵六は、決して自ら逃げることの無い奴隷を手に入れたのであった。
さて。
当時の言葉で言えば、奥蝦夷と口蝦夷の境、アイヌどうしが絶え間なく抗争を繰り広げていた、現在の北海道日高地方、様似川流域のある山中で、この物語は始まる。承応3年(西暦1654年)、大千軒岳の殉教より十五年の後のことである。松前藩の版図を遠くはなれ、役人が常駐することもない、当時のその地域は、欲と暴力のみが支配する、無法の天地であった。
こういう歴史的背景の説明と言うのは、足りなくても多すぎても文句が出るので、さじ加減が難しいところ。プロローグを読んで、なんだこれめんどくさそう、と思った人も、どうか第1話にも目を通してください。どういう感じの話かわかると思います。