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鴻城公主
翌日、含香殿は華やいでいた。王、王后はもちろんのこと末端の側室まで招いた公主の誕生日が開かれていたからだ。
容華夫人の娘は慕鴻という。しかし、この名前を呼ぶ人間は少なかった。生まれてから半年までは「小公主」と呼ばれ、それ以降は鴻城公主と呼ばれるようになった。この封号には王から容華夫人への寵愛の現れであった。もともと鴻城は肅の地名でも城でもない。この名は容華夫人の祖国、徐国のものであった。もっと言うと彼女の生まれ育った土地の名前である。王は容華夫人が産んだ娘を徐国への友好としたかったし、誰よりも愛していたのだ。
その鴻城公主は容華夫人の美貌と性格を受け継いでいた。そして自分が誰よりも父王から愛され、高貴と思いこんでいた。




